とっさに、あのブラックジャックが死んでしまった、と思った。福島孝徳医師の訃報である。
一時期、新聞の連載記事を集めていた。もう10年以上前の話だ。それを慌てて引っ張り出してきた。“ブラックジャックたち”とサブタイトルのついた記事の連載第一回目。やはりそこに福島医師の姿があった。このころ、よくテレビでもその姿を見かけた。ほんとうにこんなブラックジャックのような医者がいるんだと驚いたのでよく覚えていた。アメリカを拠点に、日本だけでなく外国を行き来する凄腕の脳神経外科医。移動中の機内で次のオペの確認と準備を入念にしているのをテレビで見た記憶がある。いったいこの人はいつ休んでいるのだろうとそのときも思ったが、「福島の日常は睡眠4時間、週“8日”」と記事にあった。これが書かれた当時、福島医師は63歳。この生活を長いこと続けていたのかと思うとまさしく超人というしかない。
手塚治虫の『ブラックジャック』最終回。いつのまにか汽車に揺られていたブラックジャックは思い出の人々と乗り合わせる。しかしそれは夢で、飛行機の座席で目が覚める。人間は死ぬ前にはやたらに過去の夢を見るっていうが、と呟く彼を乗せ飛行機は雲の彼方へと飛んでいく。「人生という名のSL」と題されたこの話は『銀河鉄道の夜』を思い出させる。ジョバンニとカンパネルラ、二人を乗せた銀河列車の旅。丘の草むらの中で目を覚ましたジョバンニは、カンパネルラが子どもを助けて夜の川に飛び込み、もう戻ってこないことを知る。
けれども哀しみの中で終わる『銀河鉄道の夜』は未完である。もし宮沢賢治が物語を完成させていたらどんな最後だったろう? 救いはあったろうか。ジョバンニにも、いなくなってしまったカンパネルラにも何かしら道標の示される終わりになっただろうか。『ブラックジャック』の最終回はこう記して終わる。“もし彼の姿を どこかで見かけたら たぶん そのときは 彼はメスをにぎって 奇跡を生みだしているはずである”
福島医師は「それが海の向こうからの僕の世直し」として後継者の育成にも熱心だった。手塚治虫は最終回を書き終えたあと、たびたび読み切りで彼をよみがえらせている。黒のコートを翻し患者のために何度でも舞い戻るブラックジャックのように、どうか多くの医師たちに福島医師の志が受け継がれていきますように。希望の二文字が常にそこにあらんことを。