終活の話をすると「早すぎる」と言われる。人生100年時代からすれば確かにまだ半分にも満たない。だからこそ、若くても残りをどう暮らしたいかときどき立ち止まり考えがちな世の中な気もする。
10年前に久々に大きな引っ越しをして以来(ただし生活圏はほとんど変わらない)、常に断捨離中だ。
あのときはほんとうにモノを減らした。ヤフオクでもめちゃくちゃ売ったし、リサイクルショップにもお世話になった。もともと中途半端なコレクター気質であるのでモノはたまりやすい。今は買う前にかなりブレーキをかけられるようになってはいるけれどやっぱり少しずつモノは増えていく。メルカリのおかげでモノを売るハードルがかなり下がったなあと思う。
たいした病気ではなかったが、数年前に手術したのもかなり大きかった。同意書に連なる何枚もの説明書きのだいたいは手術におけるリスクのあれこれで、「そうか、万が一死ぬこともあるんだ」と考えたときに改めて少し身の回りの整理をした。
「あの世にはなんにも持っていけないんだからね」と自戒のように話しかける。家族の片付けをときどき手伝うが、まあまあモノを集めて溜め込むところは血が争えない。手放す決心のできたものの処分は任されるので、さてどうしたものかと今回も腕組みする。
ホテルのようなショールームのような、生活感のない部屋に住みたいわけではない。掃除が面倒でない程度には好きなものが身近にあってほしいし、それらが役に立つか立たないかはあまり気にしない。ただ、所在も忘れ住所も決まらず寂しい思いをするだけだった持ちものが少しずつ循環していくとなんとなく、いろんなことが新しくなっていく実感がある。モノだけでなく習慣や事柄も。
早すぎる身支度に、終わるどころかあたらしく始まる何かがある。
断捨離を手伝ってもらってきたもの。和装用のバッグ、鳥のハサミ(おそらく洋裁用とのこと)、メリケンサックみたいな指輪。バッグは使うあてがないんだけど、かわいいからいいか。
今日のごはんはコロッケサンド。昨日の残りをキャベツの千切りといっしょに軽く焼いた食パンに挟んで。『沼サン』というレシピ本に出会ってからずいぶんサンドイッチの出番が多くなった。千切りキャベツにマヨネーズと粒マスタード混ぜて、メインのっけたらだいたい美味い。