小さくならない背中

Chiaki
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バイクが動かなくなった、と母から救援要請が来た。

「そろそろガソリンいれなくちゃと思ってたのに忘れちゃって。うんともすんとも言わなくなっちゃった」 なくなりそう、と思ってから2,3日は経つらしい。それでバイクはどうしたの、と尋ねれば駐車場にあるという。

そのバイクをいっしょにガソリンスタンドまで押して行ってほしい、というわけである。

次の日、母の用事が終わってから駐車場に集合した。幸いなことにガソリンスタンドは近い。徒歩なら10分もかからない。「前のはエンプティのランプが点滅したんだけどこれはないんだよね」と、まだキズもない原付バイクのメーターを指さす。

どうにかガソリンを持ち帰れないか、と考えたがこのご時世難しいらしい。1軒目では断られ、2軒目では「買えることは買えますけど、高いですよ」と言われ断念したとのこと。「あまり乗ってないのでしたらバッテリー交換になっちゃうかな」 ガス欠だといいですね、と店員さんに励まされたという。

原付バイクは昨年の夏に買ったばかり。乗り始めて1年も経っていない。6000円の出費は痛いよね、とぼやきながら、やはりエンジンの動かなかったバイクを押しはじめる。母はハンドルを、娘は後ろの荷台を。

スロープをゆっくりと上る。これがけっこう重い。KONISHIKIくらいないか??(と思ったが70〜90キロらしい) こりゃバイクの実技講習で引き起こしチェックあるはずだわ〜と納得する。起こせなきゃ押しもできない。

ハンドルが傾くと、車体の重心が偏ってうまく荷台を支えられずにふらふらする。なんとか踏ん張ってスロープの上までたどり着く。交代するよ、と言われたので前後を入れ替えてもらった。

道路に出る。握ったハンドルには、プロペラ付ののヘルメットをかぶったアヒル隊長がくっついていた。さあ行きますよ!とその表情は勇ましい。気のせいでなく、ハンドルを押すほうが力がいらなかった。

10メートルも行かないうちに、「ここでいいよ」と後ろから声がかかる。ここからは長い下り坂が続く。乗って転がしていったほうが早くて楽だ。「あー疲れた〜!苦しい〜」と深呼吸する母にハンドルを譲り渡した。さっきまでの重力はどこへら、母の跨るバイクはすいーっと坂をすべり出していく。

母はアクティブだ。原付バイクを使って通勤し、車で週に一度テニスに通う。その前までは長年違うスポーツを続けていた。今では随分落ちたが、左右で違いが分かるほどの力こぶを右腕に持っていた。筋肉がつきやすい体質なので背筋が盛り上がり、背骨の部分がしっかりへこんでいる。強い。娘は背骨がしっかり浮き出ている派だよ。

SNSで話題になったアヒル隊長のマスコットも、どこで知ったのかいつの間にか手に入れていた。電話で問い合わせ、普段は行かない100均にバイクを飛ばしていったらしい。

アヒル隊長のプロペラがくるくると回りだす。シルバーのヘルメットの、猫背には無縁の背中。年を取ると小さくなると言われるそれは、思い出がよぎるようなかぼそさもなく感傷に浸らせる気配もない。

母がいちばん元気。それが家族の共通認識だ。

下り始めたら一度もこちらを振り返らない背中を慌てて追いかける。十字路の手前をゆっくり左折していった。ここまで来ればあと少し、歩道をのろのろ押していけばもうガソリンスタンドだ。

お客のいないセルフスタンドにバイクをとめ、タッチパネルを操作するのを見守る。給油自体はあっという間だ。原付バイクって満タンでも全然入らないんだね。

キュッキュッキュッとキャップを締め、再びバイクに跨る。たぶん大丈夫だと思うけど(そう思いたい)動かなかったらあの長い坂を今度は押して上らなくちゃいけないんだよな、と腕組みしてそばに立つ。「さあどうかな〜」ともう100%動く気でいる母の声音、ボタンを押すとドゥルン、とたやすくエンジンがかかった。

「やっぱりガス欠だったね!」と母が言う。今度はギリギリになる前に入れなきゃね、とあっけらかんと笑った。ほんと、次はそうしてほしい。

じゃあ先行くね、と歩き出す。車で迎えに来ようかと言われたけれど断った。KONISHIKIを押して帰るわけではなし、歩いてればそのうち着くから。

「じゃあね」と後ろで声がした。ガソリンスタンドを出て、自販機の横を通り過ぎる。ブーンとバイクのエンジン音が聞こえる。アヒル隊長を引き連れて、頼もしい背中がピカピカのバイクとともに遠ざかっていった。

今日のおやつはダロワイヨのマカロン。赤に黄色、緑にベージュ、ビターなブラウン。キレイな色味に、口に入れた瞬間を想像してどれにしようか迷う。初めてのマカロンの印象が悪すぎて長らく敬遠していたけれど、美味しいマカロンをもらってから好きになった。自分ではなかなか選ばないので、もらうととても嬉しい。

@hica
思い出のまじった日記みたいなエッセイみたいなものを書いています。