前回のひだりさんの日記を読んだとき、ひだりさんと私は「同じ人で、違うひと」なんだったと改めて思わされた。「違うひと」なんだな、というのは常々思うし前も日記に書いたことだけれど、それとは別でもうひとつ。同じ人、同じ人間なんでした。そらそう、でもやっぱりちょっと違う、と。
私にとって、みじめというものは私のそばに常に寄りそうものだった。そういうみじめさを、許したり吐露したりする場所として、創作を使うことも多かった。高校時代から書き溜めた女の子たちのお話なんかは、特にそう言った部分がむき出しになっていて、いまでも「彼女たちには申し訳ないな」と思ったりする。それでいて、振り返ることができるようになった頃に愛しく感じることもあるので、結局残してしまう。そんな、私にとっての旧友のような「みじめさ」が、誰かのそばにもあるところを垣間見て、今回ハッとした。その痛みを伴う透明には覚えがあって、けれど私とは違う世界の内側から生まれている。こう書くと「同じ人で、違うひと」はちょっと違うのかな。他人にも世界があって、常に動いているんだな、ということを改めて自覚した…?それもちょっと多過ぎて足りないか。
全然うまく言えないけれど、さっき言った「痛みを伴う透明」はどうしたって抗えなくて、内側に留めたところで腐ってひん曲がりがちだ。困ったことにどうにもならない根深い代物。もうずいぶんと大人なのに、いまだにタイミングによっては平気でいられない。けれど逆を言えばタイミングによっては平気でいられるようになってきたので、成長はしている、と思う。多分。もうちょっと他人を放っておいても放っておかれても平気でいたい、とは、常々思う。
ここまでが以前書いてそのまましまっていた日記。さて一言。
すんません。
何ヶ月経過しとんねん。いつもそう、時間ってあっという間に過ぎていくんだよね。まるでいつかの朝ベランダで見つけた落ち葉みたい。あ、と声をあげる間に風に飛ばされてどこかへいってしまった。……嘘です。作り話を書きました。ベランダで見つけたでっかい落ち葉は「あるなぁ……」と思って、見つけた時はそのままにしていました。次の日に見たらまだあったのでさすがに捨てました。少し前に(だいぶ前に)個人の日記を始めたのだけれど、使い分け方もよく考えていないまま、ここまできてしまった。またちょっと忙しくはなるのだけれど、動き出したことによって心の余裕がやや作れたのでその隙に日記を書きたい。
タイトルを見て「なんだこいつ」と思われた方も多いだろう。多めに見てほしい、気が大きくなっている。なんてったってクリスマスだ。クリスマスがやってくる。といっても以前からクリスマスに浮かれ倒していたわけではなく、私なりに紆余曲折はあった。パン屋で働いていた頃は閉店時間まで仕事をしてノルマで買わされたクリスマスケーキ(ホール)を持って帰って、ご飯の代わりに数日に分けて一人で食べていた。祖母と暮らしていた頃はどちらかというと亡くなった祖父の誕生日を祝うことをメインにして二人ではしゃいでいた(祖父は12月25日生まれ)。こんなに手放しでクリスマスを楽しんでいるのは、どれだけぶりだろうか。ひだりさんがいる、というのも大きいと思う。二人なのでアドベントカレンダーを用意するのも楽しい。去年からはアドベントカレンダーの中身を自分たちで用意していて、毎日交互に箱をあけて楽しんでいる。ここ一ヶ月は、お互いカレンダーに入れるものを探すのに夢中だった。昔はロフトの前を通るたび「昨日までハロウィンだったのに、もうクリスマスになっとる!」と白目をむいていたものだけれど、今はありがたい。知らんかった、クリスマスは11月から始まっていたのだ。もうディスプレイ見るだけで楽しい。あと二回寝たらアドベントカレンダーが始まるんだ、と思うと、楽しみすぎて踊り続けてしまいそうになる。早くひだりさんからの贈り物が見たいし、私が入れたもののネタバレをしたい。私は「口が窒素より軽い」と言われたことがあるくらい口が軽いので、隠すだけでも一大ミッションだ。ちなみに窒素云々は姉に言われた。あの節は本当にすみませんでした。
ネタバレがしたい、といえば実はもう一つある。ひだりさんの誕生日だ。クリスマスの前に、実はひだりさんの誕生日が控えている。早くネタばらしがしたい。我慢ができなくて、昨晩ひだりさんに向かって「はやくひだりさんの誕生日にならないかな……」と二回も言った。というのも、今年のプレゼントを喜んでもらえるかの自信がちょっとない。あと一部は多分ばれている。(「言わないで!」とでっかい声で止めたので、どのへんがばれているのかは不明)毎年そわそわしているのだけれど、今年は一番そわそわしているような気がする。
今年の、私の誕生日のときの衝撃が忘れられないのだ。あれを越えようとは思わないが、やっぱり贈りたいなと思ったものをおもしろ楽しく贈りたい。何があったのかというと、まず、当日の朝起きてリビングに出たら、私の席に、ドラえもんのぬいぐるみが座っていた。ドラえもんの両手にはQRコードの紙が貼り付けられている。異様な光景に私は「なんかいる」「私の誕生日が始まっている」と、恐怖、期待、いろんな気持ちを抱えたまま、多分半笑いで近づいた(祝われるのが大好きなので、多分表情を抑えられていなかったと思う)。まずは机の上にあったお手紙を読み、うれしい言葉に胸がいっぱいになる。そしていよいよ、私の席に鎮座するドラえもんだ。その両手のQRコードは一体なんなんだ。ひだりさんが起きてくるまで待ったのか、自分で先に見たのかはよく覚えていないが、コードを読み込んだ後、私は50回くらい「待って」を連呼した。本当に連呼した。ふたつのQRコードには、劇団四季ウィキッドの大阪公演チケット。さらにそれを見に行くための日帰り航空券とスケジュール。そら言うだろう、「待って」と。その時期、もう東京公演は終了しており、大阪公演しか残っていなかったのは知っていた。だからもう観に行くのをほぼ諦めていた。諦めていたのだ。それなのに! そのときの私は多分、軽く腰を抜かしていた。あと頭の中で、なぜかクルージングをしている跡部景吾の映像が流れ続けていた。「モノ」ではない「体験」という贈り物を、私なりに必死にイメージしようとしていたのかもしれない。本当に、本当に驚いたのだ。腰を抜かすほど驚きながらも、プレゼントはありがたく頂戴し、後日ひとりドキドキ弾丸ウィキッドツアーを楽しんできた。実は一人で飛行機に乗るのが初だったのでちょっとした珍道中にはなったのだけれど、余裕を持って動かないと動揺する性質なのでスケジュール自体はイレギュラー無くスムーズに進んだ。舞台は一幕、二幕のクライマックスごとに号泣し、カーテンコールの間は涙が止まらなくて拍手しようにも顔が上げられないほどだった。映画ではどう表現されるのだろうか……。
話が少しそれた。そういうわけで、それを経て、ひだりさんの誕生日だ。そしてクリスマスだ。アドベントカレンダーだ。なんなら12月には冬至もある(osajiの柚子のバスボールを買いたいと思っています!)。もうね、早く、二人でキャッキャしたい。見せたい。色々。なのでもうずっと、そわそわしている。その他にも仕事のことや大掃除や勉強や勉強やいろいろ考えなくてはいけないことやらなくてはいけないことはあるけれど。本当に、たくさん、あるけれど。たくさん…………。……まずは部屋の片付けから取り掛かろうと思います……。いきなり寒くなったから、まともな衣替えができていない。Tシャツがまだハンガーにかかっている。
ま…今日のところは…、クリスマスの前に、やってやりますか。冬支度ってやつを……ね。