ここ数日は晴れが続き気温もやや高い。週の頭に積もった雪は少しずつ日中の太陽の熱で溶け、家の前に作られた大きな雪だるまの頭にはロケット弾で打ち抜かれたような穴が開いている。目や鼻はもうない。空模様は毎日変わり種ばかりで楽しい。
散歩中には落ち葉の代わりに雪を踏む。雪は朽ちておらず踏むと硬い。真っ白だった雪の表面は地面の汚れと排気ガスで日を追うごとに黒い粉をまとっていく。春雨で散り、人々に踏まれたアスファルトの上の桜を思い出す。
2024/02/10
新年早々仕事とプライベートどちらもあまりのバタバタ加減でどんどん日記を書くタイミングを逃し、日にちが経てば経つほど更新するのが億劫になり、気がつけば一ヶ月も時間が過ぎていた。
プライベートなどと意味深な書き方をしたが要因はシンプルだ。昨年末に部屋のエアコンが壊れた。毎朝起きるたびに、10℃まで冷え切った部屋を温めるところから1日が始まる。カーテンを開け日光をこれでもかと入れて自然の力に室内をあっためてもらいつつ、譲り受けた電気ストーブで寒さを凌ぐ。夕方になって陽が沈む前に、今度は室内に溜め込んだ暖気をなんとか逃さないようにカーテンを閉め、隙間風の冷たさに耐えられなくなってきたらこたつに逃げる。ある意味では試行錯誤と呼べるのだろうか。そんな日々を一ヶ月近く過ごしている間には前向きな気持ちが全く湧かず日記を書くことなんてできなかった。
というのはまぁ、言い訳ですが。だってその期間に文章を何本か書いたりはできていたので。
話は変わって、今週頭に驚くほどの雪が降った。部屋の空気がどんどんと冷えていくのがわかる。まるで地下から湧き上がってきたゴーストの放つ冷気が世界に満ちていくようだった。雪と縁遠い地域で暮らしていたせいか、エアリーな質感の雪が手に乗るとサァっと瞬く間に溶けていくのを見ているだけで楽しい。外の雪には誰よりも早く一番に足跡をつけにいきたいし、電線の上に乗った雪の塊を見るとバランス感覚の良さに思わず唸ってしまう。とにかく何もかもが珍しくて楽しかった。
その二日後に家の前の道を歩くと、雪は溶け始めていた。私は駅までの道を歩きながら知る。なるほど雪が降った後の道路には、人間の営みと怠惰の両方が、そしておまけに遊び心が散らばっているのだと。
歩くのに困らないようにと誰かが道路の両端に避けて積み上げてくれた、岩のようにゴツゴツとした雪の塊。疲れ果てて自分への怠惰を許したのだろうか、一部だけ道路の中央に取り残された氷塊の溶跡。大小さまざまなサイズの雪だるまや、明らかな意図を持ってつけられたナスカの地上絵にも似た足跡。これは面白い。まるで筆跡鑑定師のように私は駅までの道を歩きながら、この街に住む人々の生活というものに間接的に触れる心地に酔いしれた。
だがそれ以上に私が驚いたのは、積雪から二日後に家をでた瞬間に見たもののことだった。階段の踊り場にシーツが落ちていたのだ。どこの家から飛んできたのか、真っ白のシーツがくしゃくしゃになって踊り場で持ち主を探していた。幸いにもまだ汚れてはいないようだけれど、持ち主がこのことを知ったらきっと落ち込んでしまうだろう。地面はまだ濡れているし洗い直しになるかもしれない。こんな朝早くから干しているということは、起きて早々に洗濯を回しているだろうし、ということはもう家を出てしまっているだろうか。それにしてもどこから? 私は慌ててシーツに駆け寄る。触れるとそれは冷たい。シーツが? そんなまさか!
それは雪だった。まだ氷にはなりきれず雪の体裁を保っているましろい雪だった。私は寒い日の中でこんなにも雪が長く残ることを知らず、自分の妄想の伸びやかさも舐めていた。逆立ちしても「踊り場に取り残された雪をシーツと見間違えた」なんて文章は思いつかないだろう。私がシーツと見間違えたものは雪だった。その瞬間に、私の世界はひっくり返った。私は興奮のままに凍えるほど寒い我が家を後にした。
今日はここまで。