あの頃の本屋 | みぎ

hidaritomigi
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公開:2024/9/16

またしてもものすごく久しぶりになった。以前の書きかけを確認したところ「先日の誕生日はいろんな形でお祝いをもらい、とっても驚いたしとってもうれしかった」といった内容の書き出しがあった。私の誕生日は5月末なので、おそらく書いたのは6月頭。放置するにもほどがある。すっかり使えなくなった時事ネタには手を振ってお別れをして、新たに日記を書いている。ここ最近の自分はというと、昔からの勇み足の性格が治らず空回っていることが多い、ですがなんとかかんとかやっています。あとこの夏は寝つきが悪くてとにかく困った。早く涼しくなってほしいな。

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ここ数年のことだけれど、本屋巡りが趣味になった。きっかけは複数あるけれどその中でも明確に「これ!」というのがあって、それは知り合いが本屋さんを開いたことにある。本屋を始めた、という報告をみかけたときはとってもうれしい気持ちになった。住んでいる場所とそのお店に距離があり(新幹線に乗らないといけない)すぐお店に行くことが難しかったのと、何よりすっかり連絡をとらない間柄になってたこともあり気恥ずかしかったので、初めのころはそっと見守ることで応援をしていた。いつかお店の近くに行く機会があったら、こっそり寄らせてもらおう。そう思っていた。

と、いうところで、コロナが大流行した。

予想もしなかった事態に余計に足は遠のき、けれどいつか行きたい、でも今は行けない、どうしたものか、どうしようか、と考えていたところで、そのお店がオンラインショップを開始した。感謝しかなかった。欲しい本が出てきたらきっと利用しよう、絶対にそうしようと決めて、そのタイミングになったとき意気揚々とサイトに飛んでいった。まず買おうと決めていた本をカートに入れて、それ以外に何か読みたいものはあるだろうかと、私は一覧に並ぶ本の表紙とタイトルを眺め泳いだ。それが、思っていた以上に、すごくすごく楽しかったのだ。検索するというより、探索する。その楽しさがよみがえってきた。そういえばそうだった、私はこんな本屋さんをずっと探していたのだと、その時思い出した。

10年以上前のことだ。私にはお気に入りの本屋が一つあった。社会人としてひとり京都で暮らしていた時期で、その本屋は職場の近くにあった。確か開店時間は10時か11時、閉店時間は夜23時頃。当時仕事漬けだった私にとって唯一生活リズムが合う本屋だった。私はその頃、ほとんど職場と家を往復するだけの生活をしていた。外で遊ぶ機会もありはしたけれど基本的に仕事が中心。10時から22時まで働いた次の日に7時から19時まで働くなんてこともざらで、バイトのひとたちに「みぎさん(仮名)、いつ来ても働いてません……?」と心配そうに言われることもあった。仕事が好きでそうしていたわけでもないけれど、残業手当はもらえていたし、職場の人たちのことは好きだったので、たまに文句は言いつつも貼りだされるシフトに従って働いていた。そんな生活の中で、職場の近くにある本屋は私の楽しみの一つだったのだ。

私は特別読書家というわけではなく、小説などよりは漫画が大好きだった。両親の影響が強く、有名なところだと萩尾望都大島弓子陸奥A子高野文子一条ゆかり……などなど。その本屋には新刊の他、そういった昔から活躍する漫画家さんの単行本、文庫本などもぽつぽつとそろっていた。小さな店舗で、漫画がメインというわけでもなかったけれど「ほしいな」と手を伸ばしたくなる本にであいやすい、そんな本屋だった。私は出勤前や休憩時間(なんせ拘束時間が長いので2時間休憩とかいうわけわからん休憩がある)、退勤後にしょっちゅうその本屋に寄った。買わずに店を出る日もあったけれど、本当によく立ち寄っていた。ちなみに通勤路にはもう一つ同じ系列の本屋があり、さらに休みの日は家から数分のところにある別の本屋に行って漫画の新刊チェックをしていたので、あの頃は週7日本屋に行っていた。出勤前に休憩時間中読む本を買ったり(ロッカーを本棚代わりにしていた)、休憩時間に制服姿のまま本を探しに行ったり、退勤後明かりがついているのを見て立ち寄ったり、一人で帰りたい気分の日に「今日ちょっと本屋寄って帰ります!」と口実に使ったり、いろんな形でお店に行った。中原中也の詩集を買うかうんうん迷って本屋の中をぐるぐる回る日もあった(私なんてもんが文学に触れてよいのか、という謎のコンプレックスが当時あった)その本屋をきっかけに、あの頃はどこにいっても本屋さんがある京都の町を歩くのが大好きだったのはよく覚えている。

けれど別れは突然訪れた。その本屋の閉店が決まってしまったのだ。その日も仕事終わりで、いつものようにふらりと立ち寄った時、入り口に張り紙が貼られていた。「●年●月●日をもって閉店いたします」お気に入りの本屋、という存在ができたことにちょっと浮かれていたので、ショックがでかかった。確かに書店員のことを考えると23時まで営業というのは大変すぎる、その心苦しさは常にあった。どうかしっかり休んでほしいと思ってはいた。けれどやはり、一日のほとんどを仕事に費やして、自分たちの店のシャッターを下ろしたとき外は真っ暗で、開いているのはコンビニや松屋だけで、そんな中ぽつんと開いている本屋の存在にどれだけ救われていたことか。本屋が開いているのを見るたび、ああまだ私の時間があるんだなぁと思えた。こんな場所がもう一度見つかるんだろうか。喪失感で呆然としつつ、時間が進んでいくことの意味を痛感もした。

閉店後、その本屋は職場から少し離れた商業施設の中でリニューアルオープンし、私も何度か通ったけれどあの頃のような気持ちや頻度で通うことはもうなかった。

そのあとは私の環境も変わり、職場も異動して立場も変わって、その立場をおりて関東へ引っ越して、世間では電子書籍がどんどん目立つようになっていった。私はその頃これまた別のきっかけで短歌に興味を持つようになっていたけれど、新しい通勤路に本屋の姿はほとんどなく、あっても歌集はほとんど置いていなかった。そうするうちに私は、漫画は集めている作品の新刊だけを買ったり、アプリを利用してすぐ読めるものだけを読んだりするようになった。本屋は祖母の付き添いかおつかいか、欲しい本があるときにだけ行くようになった。二次創作にどっぷりだったので本から離れることはなかったけれど、本屋に行くこと自体は確実に減っていた。

なので今こうやって再び、本屋に行くようになったことがうれしい。読むのが遅いので(漫画はあんなに早いのに……)積ん読タワーがたいへんなことになり、最近積ん読ワゴンを設置することになってしまったけれど。それでも本にであうのはたのしくてたのしくて、出かけるたびにすぐに本屋を探そうとする。敷居が高いと気後れしていたジャンルも、私が読めるものから読んだらいいんだと手を伸ばすようになった。本屋そのものが好きになり、本屋にまつわる本も読むようになった。そしていろんな本屋に行くたびに思う、今の私があの本屋に行ったら、どんなふうに棚を見て回るんだろう。

今でもあの本屋が恋しい。22時20分とかそれくらいの時間、シャッターを下ろして後輩やバイトさん、時にはひとりきりで駅まで歩く。気持ちが沈んでいる時はすぐにイヤホンをしてお気に入りのプレイリストを再生する。駅に向かうまでの道のりの中で、お店の明かりが減っていく。最後の明かりが、確かその本屋だった。もしかしたら正確には違うかもしれないけれど、確かそれくらいの距離だった。本屋さんまだやってるんだ。それだけでうれしい。それだけでうれしかった。そういう思い出が、あの頃のあの通りにあった。

検索するというより、探索する。発見する。本屋は、大人になった私ができる冒険の一つなのだと思う。そして時々、人によっては灯台にもなる。私にとって本屋というのはそんな場所だ。読むのも遅い、たくさんたくさん本が読めるわけでもない、時には装丁を眺めて満足してしまうものもある(すみません)それでもやっぱり、「好きな本屋がある」ということに安心をもらっている。少なくとも私には「好きな本屋があった」と確実に言えるのだ。あの頃の本屋があって、あの頃本屋に行っていたときの気持ちを思い出させてくれた本屋がある。それはとってもとってもうれしくて、ありがたい。

そんなことを考えながら、また新たに積みあがった積ん読ワゴンを見つめて、ちょっとだけ白目をむいてから、今日は眠ります。おやすみなさい。

▼今回の日記に出てきた二つの本屋さん+最近よく行く本屋さん

・ふたば書房 河原町店(閉店):記憶が正しければ、同じビルの上の階にある歯医者で親知らずを2本抜いた。

toi books:大阪にある本屋さん。大阪旅行に行った際、念願かなって一度だけ店舗でお買い物をしました。見て回るのがとっても楽しかった。

青山ブックセンター:落ち着く。買い物した後ひと休みできるカフェを見つけるのがちょっと大変。みなさんどうしてるんですか。

@hidaritomigi
ひだりとみぎが交換日記、もとい二人日記を書いています。アイコンの犬がかわいい。