1日のうちのトータルすると数時間、ひふみというアバターを着て好きなことを話している。80年代に流行ったサイバーパンクのように、SNSは己の肉体を超えて精神をのせて、外付け装置のようにいろいろなことを記録させることができる。肉体という鎧を失ったそこには剥き出しの精神が横たわっていて、あまりよく知らない他人のそれと共鳴したり反発しながらコミュニティを作り出していく。コミュニティとは即ち社会なので、時々その内外で揉め事が起こる。鎧のない感情、ノンバーバルな情報のない空間では最新の熟練度が白日の元に晒され、ひどく攻撃的になったり、深く傷ついたり、時には実存する肉体への影響、すなわち病気や死までに至ることがある。時々忘れるかもしれないが、画面の向こうには生身の人間がいる。今やAIゾンビの数の方が多いかもしれないが。それにしてはあまりにもカジュアルに消費しすぎていて、なにか取り返しのつかないことが起こってようやく皆己を立ち返ったり返らなかったりする。あと何回同じことをやれば人類はSNSから解放されるんだろうね。