スロウトレイン感想

hifuu123
·
公開:2025/1/5

年始初めてのエンタメは野木先生のお年賀ドラマ「スロウトレイン」から始めた。年始に見るのがぴったりのホームドラマで、長岡さんの優しい音楽が包み込んでくれる素敵なドラマだった。「孤独」「生産性のないこと」についてフォーカスされていたドラマだと思うけれど、私はどちらかというと真ん中っこで自由人(というキャラクターだと思うのだけれど、渡韓にあたって韓国語をきちんと勉強したり、バイトから店長になっていたりするところを見ると割としっかりしているのではと思うなどした)のみゃーこが言っていた台詞が印象的だった。

「明日死ぬかもしれないと思うと、ここにいてもいいのかな、って、私、居ても立ってもいられなくなる」

両親と祖母を自動車事故で一気に喪い、成人していた(と思われる)はこ姉が親代わりで育ってきたみゃーことうーちゃん。みゃーこは「未来」を描くのが怖かった。ずっと自分の先を探している。その理由がこの台詞に詰まっていて、胸がギュッとなった。末っ子のうーちゃんこと潮は線路の保線員となり、「滑らかな道路」を作る側になっていることも印象的だ。それはきっと顔を見ぬ誰かの旅路を安全に、事故のないようにするための仕事でもある。

ドラマの冒頭、作家である二階堂が「人生の畳み方を考えている、パラシュートみたいに上手く引っ張って畳みたい、最高傑作を遺作にしたい」という台詞は、いつ畳むかわからない・何を喪うかわからない人生においてはかなり難易度の高い要望だ。だから最高傑作である『かもめ』を遺作にしたいと言って、新しい挑戦をしない彼に、はこ姉が「あれは佳作です」とはっきり言い切るシーンは最高だ。家族を喪ってわからないながらも自分の人生を生きることを諦めない渋谷家と対比になっているのだな、と思った。

はこ姉は「子どもを産まない」人生を選択した人だけれど、その分「編んで集める」本を作って世に残すという仕事を生業としている。「鎌倉だけど渋谷です」が「釜山だけどかまくらです」という形に変わり、お正月のちらし寿司の文化はみゃーこの店にも、そしておそらく百目鬼とうーちゃんの生活にも受け継がれていくのだろう、と思うと、人は誰かと番って子孫を残さなくても、誰かとの関わりの中でその人の価値観や文化を残していくのだな、と思う。なので、孤独に生きること、一人で生きることをしずかに肯定しながら、その根底にある深い悲しみに優しく寄り添ってくれるような、グリーフケアのようなドラマだった。

一方で少し気になったのは同性カップルである百目鬼とうーちゃんの描写で、ちょっと物語のフックというか若干のサプライズとして使っていないかい?ということである。私は同性カップルがフツーにそこに居る作品が好きなので……。でもTLで流れてきている感じよりはずいぶん大丈夫だったし、百目鬼がうーちゃんのことを好きになったであろうエピソードもすごく良かったので(それにしても姉に干渉しすぎだろうよ!感はあるが。あれがうーちゃんが妹のヘテロカップルだったらまた違った感想が溢れていたかもしれないと思うなど) あとどうしても同性カップルのケア描写だと料理を含めた家事が出てくるのが気になる。今回もうーちゃんが料理をしたり洗濯をするケア男子だったけれど、わたしの同性カップルへの解像度が低いせいなのか、これって男男で「どっちも家事しない」場合だったらどうなるんだろう?と思うなど。男性はケアに疎いとよく言われるけれど、どっちも疎い場合のカップルって二人とも唐揚げ弁当買ってきて食べたり家事外注したりするんだろうか。その辺気になる……と思ったりしたのでした。まあうーちゃんははこ姉にもわざわざ中華鍋で料理を作ったりしていたので、元々そういうことをすることが好きな男子ということがよくわかったのだけれど。

きっと受け手がそう思っている以上に作り手もそう思っているのだろうな〜と思った。

取り止めのない感想になってしまったけれど、こうやって丁寧にドラマの感想を書くのっていいな。たまに書きたいと思います。

@hifuu123
書かなくてもいいメモ帳