よく「何を話さないか」が知性だというのを見るが、その取捨分別ではなくて「いいたいことをどう表現するか」が知性なのではないかと思う。話さないという選択肢は簡単だ。黙秘というコマンドがある通り、黙っておくというのは自己の中で感情をコントロールできるタイプの人間にとっては非常に楽なことだと思う。何も考えずに話すこと、思った通りに口に出すことは一番楽で簡単だが。黙る、ということ、無視するということはコミュニケーションの断絶であり、一番強い武器になり得る。
私はこういうところで書き散らしているからお察しの通り「黙っていられない」タイプの人間である。頭の中は常に雑事でいっぱいで、創作などをしている時はもうとにかく脳内がうるさいのでさっさと排出してしまいたいというその一心でいる。なので、基本的に思ったことは書くようにしているし、何を書かないかという選択をする前にとりあえず一旦全部正直に書いてから削るようにしている。こういうことを書いたら誰かが傷つくかもしれないとか、若干これはどうしようもない悪口だと理解していても書く。一つだけ意識していることは、基本的に鍵垢だろうがどこの何の媒体だろうが、誰に読まれても別にいいかなと思ったものしか書かないようにしている。今日のインターネットだと、ちょっと慣れている人だと簡単に本人特定できるし、この層には読まれたくないな、リーチしてほしくないなってところにも案外見つかりやすいので、検索避けや鍵は対して意味のないものだと思っている。本当に読まれたくないものはオフラインでちらしの裏に書いて破りすてるしかないのかもしれない。
黙っておくのが一番じゃん、と言われそうだが、それでも書かずにいられないのは、コミュニケーションを断絶したいわけではないからというそれなのだと思う。もっと言うならば、狡いので間接的なコミュニケーションを望んでわざと書いている節もあるのかもしれない。そう、書くということはコントロールできて受け手によっての理解幅を利用した狡さをいつも内包している。そういうことなのかもしれない。
追記0125
「何を言うかが知性で何を話さないかが品性」というのが元ネタなので上記の話さないことが知性というのは間違っているとマシュマロでご指摘頂き、気になったので某お笑い芸人の発言とのことだったので調べたら渦中のスピードワゴンの小沢さんだった。あまりのタイムリーさに笑うと共に、話さないことが「品」だという彼の信念に基づいて今後の報道がどうなるのか、私とっても気になります。知性と品性のバランスで乗り切れるのかしらん。笑 一つ賢くなったのでマロ主さんに感謝すると共にここに記載します。ありがとうございます🩷(そして深く考えると上記の文章は齟齬が生まれるんだけど、人のために書いてるものじゃないからいっかな、ってことでそのままにしておきます