最悪版の魔女の宅急便「黄色い家」を読んだ

hifuu123
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公開:2025/12/3

体感この世の八割の人間はジブリ、ないし「魔女の宅急便」が好きなのではないかと思う。ジブリ作品を見たことがないという友人は数名いるが、魔女の宅急便が嫌いだという人間には出会ったことがない。主人公のキキが魔女修行の名目で親元を離れ、新しいコミュニティを自分で作り、思春期の中で自立していくストーリーは嫌いになりようがないと思う。可愛いネコチャンも出てくるし。

川上未映子の「黄色い家」の上巻を読了した後なぜか思い出したのは、そんな誰もが好きな「魔女の宅急便」のあらすじである。帯に「青春ノワール小説」と紹介があったように、親元を離れ、擬似家族・擬似親を手に入れた花が新しいコミュニティを手に入れて楽しく過ごす様は青春そのものである。下地にあるのは貧困や水商売であるが……。作中で主人公の花が初めて見た映画は「魔女の宅急便」で、空が飛べたらいいよね、という魔法の力よりも親元を出て好きなだけ働けたらいいなと思った、という感想が述べられている。花はその後、「れもん」というスナックで好きなだけ働くようになるのが示唆的だなと感じた。上巻はその「れもん」が焼け落ちることで終わる。つまり魔女の宅急便で「グーチョキパン屋」が焼け落ちるほどの衝撃である。

「魔女の宅急便」の後半では魔法の力を失ったキキが、かなり雑にいうともう一度自分を見つめ直しアイデンティティを確立させ、魔法の力を復活させるのであるが、「黄色い家」では「れもん」という居場所とアイデンティティを失った花がのめり込むのは「金」で、クレジットカードの出し子犯罪に手を染めることになる。最初は確かに「れもん」の復活のためだったが、そのうちに手段が目的にすり替わり、強烈な責任感(ラストマンシップとも言える)から花は周りの人間に支配的になっていく。

ちなみにこの作品には使い魔的な可愛いネコチャン……つまりは「ジジ」は登場しないのであるが、その役割を果たしているのは映水なのかな、と思うなどした。映水との初対面のシーンで「真っ黒な甲斐犬を思い出させた」という描写があり、その後も花が好きだったという犬のエピソードが続く。映水はつかず離れずの距離感にいながら花に携帯電話を与え、賃貸契約等の身の回りを整え、仕事も紹介する。その世界のガイドとしての役割が強いのではないかと読み進めていて思った。

下巻にあたる物語の後半は薄暗い。蘭と桃子との友情は支配となり、黄美子とのシスターフッドは信仰に近い薄暗いものになる。稼いだ金を清算するやいなや、彼らは魔法が解けたように同居を解消し、別の人生を歩むことになる。黄美子が逮捕された記事を見つけるまで、花はほとんどそれを忘れ、一部を美化して消化していた。

もし魔女の宅急便のキキが、魔法の力を失ったまま成長していたとしたら。コミュニティはそのまま彼女に残ったのだろうか。使い魔は意思疎通できないにせよそばに居てくれたのだろうか。そのままキキが成人して、修行の日々を振り返ったら何を思うのだろうか。そんな最悪の世界線の魔女の宅急便を考えてしまうくらいに、黄色い家で描かれた彼女たちの姿は青春でもあり、成長でもあり、同時に最悪のどん詰まりの世界だなと感じた。

読了後、川上未映子さんのインタビューと斎藤環さんの書評を読んだのだけどどちらもとても良かったので貼っておきます。なんなら上の感想文いらない。特に斎藤環さんの書評は「ケア」の視点からの書評で、個人的にも好きなテーマなのですごく良かった。

前・中・後編とあって読み応えがすごい。

後編は「小説を書くこと」への眼差しについて語られていて、だから川上未映子作品が好きなんだよな〜と思えた。

映水が「ケア」と「正義」の中間にいるキャラクターだということ。彼自身のバックボーン含め、なるほどなと思った。

@hifuu123
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