うつくしきもの

hifuu123
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日々美しいものを見過ぎているな〜と思う。例えばSNSでも「盛れてる」「映えてる」という感覚がスタンダードだし、私もそういうものが好き。(ミーハーなので) 普段フルリモートということもあり液晶画面を見すぎているので、なんというか私の周りのほとんど全てが平面で奥行きがない。この前のしずかなインターネットでも「久々に出張に行ったら人間が立体でびっくりした!」みたいなバカ丸出しの日記を書いてしまったのだが、本来人間は立体で匂いがある。プロダクトには手触りがあるし、全ての物事が完璧であることは稀である。なのに少しでも気に食わないことがあるとつい色々と口に出したり書いて昇華しようとする。究極、これが「正論を振りかざす」正体なのかもしれない。ルッキズムなんかも「正論」の究極系で、正しいことは美しいし気持ち良い。各々が信じる美しい正しさがあって、それは素晴らしいことなのだけれど、どうしてもなんでも可視化される現代とは相性が悪い。染み出した違和感をぶつけたくなる。それはちょっとした棘や毒なのかもしれない。一人のちょっとした毒がどんどん染み出して取り返しのつかないことになって時々最悪なことが起こる。それを何度か繰り返して、時々自分の思う美しさを振り返ってゾッとしたりしている。

ありのままの姿見せるのよ、と歌が絶賛されてもう10年。当時クドカンは「ごめんね青春!」で、登場人物のあまりに「ありのままのあまりを愛して!」という台詞を与えた。ごめんね青春!はすごく「ありのままにあることを許す」というテーマがあったと思う。そこからコロナ禍を経て10年後、「不適切にもほどがある!」では、そのありのままであることによる不和不協を「寛容になりましょう」というミュージカルで締めた。「寛容」という言葉は果たして「ありのまま」と連動するのだろうか?そんなことばかり考えていて、おそらくまた10年経たないと何も見えてこないのかもしれないな、と思った。

@hifuu123
書かなくてもいいメモ帳