佐田優三は朝ドラにおけるドリームケア男子だったか?

hifuu123
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公開:2024/5/31

タイトルは冗談です。以下、自分のための思考整理文章。

「虎に翼」で優三さんが出征した先週の金曜日から週が明けて火曜日には戦病死していて、う、嘘だろ……というあまりの展開の早さに打ちひしがれている。メタ的な読みをしたら金曜日にたっぷり優三さんの尺をとっていたのだからそりゃそうよねって話なのだが、それにしても生まれたばかりの優未ちゃんを大事そうにすんすん匂いながら「うん、あとちょっとだけ」と言っていた彼がまだ焼きついている。それくらいに優三さんはまだそこにいる気がするのだ。

Twitterでは「優三さんの人生とは」「優三さんは蔑ろにされていないか」というつぶやきをよく目にした。あまりの優しさと健気さにドリーム夫というつぶやきも目にしたのだが、確かにどれもそうだと思う。優三さんはたしかに主人公の寅子の視点から見るとケアする人間だし、昨今増えてきた「ケア男子」そのものだった気がする。

ケア男子とは、私が使いやすいから勝手にでっち上げてる言葉なのだけれど、「女が主体となる物語においてケア要員を引き受ける異性パートナー」のことを指している。朝ドラのように女性が主体的に自分の人生を生きるストーリーにおいて出てくる割合が多い。直近の朝ドラを数作思い出してみても、舞いあがれ!のたかしくんやカムカムのジョーさんなんかが当てはまると思う。(おかえりモネの菅波先生はケアの役割をしていたし婚約していたのでギリ当てはまるとしよう。あとらんまんのたけおも男-男間ではあるがケア要員だった) 彼らはひとえに優しい。傷ついた主人公たちの心のケアはもちろん、家事や育児もやっている。日曜劇場の男主人公たちが理解ある妻がいるように、朝ドラの女たちには理解あるパートナーが欠かせない。というか必須だ。家庭内ケアに時間が割けない部分をケア男子が引き受けていると言っても過言ではない。民放でも「私の家政夫ナギサさん」や「スーパーリッチ」のように、コロナ禍からこの「ケア男子」の描写が加速したように感じるのは、ひとえに「ステイホーム」が謳われて男たちも家事をするようになったが故なのだろうか?社会的に活躍する女たちはよく「同じだけ働いている上の世代の男たちは、専業主婦家庭が多く家のことをしてもらえてうらやましい」という話をする。私たちが第一線で活躍するには家庭内ケアの人間が必要なのではないか?という「ドリーム」を具現化したのがケア男子なのではないか。現実世界では極めてケア男子に徹底してる人間を探すのは難しい。一方で、家事や育児を分担したり一部分を担っている男性は増えてきているな、と体感として思う。極論、ケア男子の存在はもしかしたら男性社会構造を変えず女性が活躍し、生き抜くための幻想なのではないか?という論が出てきてもおかしくはない。

ケア男子の存在はドリームかもしれない。多くの男性は身体的/精神的に自分のことをケアすることが得意ではないと言われている。特に肉体面においては極めてそうで、欠損が起きようともあまり気にしない・補填すれば良いとしているきらいにある。少し話の筋からはずれるが、せっかくなのでこの辺の話をするときに私が頭の中にぼんやりあるコラムを貼っておく。

朝ドラのケア男子たちも相応にセルフケアが弱いな、と見ていて思う。自己犠牲的な部分が強かったり、超過勤務をし過ぎていたり(某先生……)と様々だ。ちなみに直近のドラマで男性のセルフケアを描いているなと思ったのは「セクシー田中さん」で、笙野というキャラクターはケアの役割に徹していなくとも、他人と自分のケアを適切にできる人物造形で単純に面白かった。

「虎に翼」の優三さんは果たしてどんな人物だったのか。私は徹底的なケア要員でも、主人公が主体的に輝くために搾取された人生でもないと思っている。たしかにケアする人ではあったが、それ以上に寅子という好きな人と一緒に生きるために主体的に生き、ケアするだけではなくて、きっかけを只々与え、導く人だった。弱者男性でもなければ虐げられたわけでもない。佐田優三は名もなき市井の人だったかもしれないが、たしかに寅子の水源だった。

ケア男子の存在が男性社会構造を変えずに女が活躍する装置としてのドリームであるならば、メタ的に考えれば寅子はそれを喪った中で社会的に生きていく必要があるというわけである。戦争の終わった後、猪爪家には家父長制的な役割ができる男たちは今いない。私たちみんなが柱になればよい、と言った花江の言葉が来週から体現されていくのがとても楽しみ。ドリーム夫・理解のあるパートナーがいなくても、女たちはきっと輝けるはずだから。

@hifuu123
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