東京出張への移動時間を使って「夜明けのすべて」を見ました。21年BK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の二人と言うことで、TLでもとても評判が良かったことと、日本アカデミー賞にノミネートされていたので、授賞式までには見ておきたいなと思っていました。
とても静かで誠実な映画だな、というのが第一印象で、陽が落ちてちらほらと目立つ街灯や、ビルや、街並みの灯りがとても印象的な美しさがそこにありました。この映画は大きな出来事は特に起こらず、淡々と「ただ、そこにいる生きづらさを抱えている/傷を抱えている人たち」を描いているのが良かったです。足が不自由なこと、異国のルーツを持つ思春期の子ども、おそらく自死遺族のグリーフケアに参加する残された人たち。主役の二人のみならず、グラデーションはあれど傷を抱えた人がただそこにいて、少しずつ支え合いながら生活を営む様子がとても好きでした。
上白石萌音ちゃん演じる藤沢はPMS、松村北斗氏演じる山添はパニック障害を抱えていて、ひょんなきっかけからお互いの持病を知るのですが、そこから恋愛には発展せず、ただ同僚として、助け合う二人が描かれていることが良かったです。作中で山添が「男女に友情は成立するかという話は個によると思うけれど、藤沢さんがPMSになったら助けることはできると思う」(意訳)と言うシーンがあって、同世代の男女が男の部屋でダラダラ本を読んだりお菓子を食べていたのですが、それがとても良かった。恋にも、何なら友情にもなるかどうかわからないくらいの距離感だけれど、二人は確かに「出会えて良かった」んですよね。
「夜明けのすべて」というタイトルは「all the long nights」という英題が付けられており、映画冒頭のタイトルに合わせて表示されるのですが、これって「明けない夜はない」と呼応しているのでは?と思っていたら、作中で「夜についてのメモ」という、栗田金属の社長の弟(すでに亡くなっており、栗田社長はグリーフケアにずっと参加している)が書いたメモが音読されるシーンがあり、そこに記載がありました。とても素敵な文章だったので、以下引用です。
夜明け前がいちばん暗い。これはイギリスのことわざだが、人間は古来から夜明けに希望を感じる生き物のようだ。たしかに、朝が存在しなければ、あらゆる生命は誕生しなかっただろう。しかし、夜が存在しなければ、地球の外の世界に気づくこともできなかっただろう。夜がやってくるから、私たちは、闇の向こうの途轍もなき広がりを想像することができる。私はしばしば、このままずっと夜が続いてほしい、永遠に夜空を眺めていたいと思う。暗闇と静寂が私をこの世界に繋ぎとめている。どこか別の街で暮らす誰かは、眠れぬ夜を過ごし、朝が来るのを待ちわびているのかも知れない。しかし、そんな人間たちの感情とは無関係に、この世界は動いている。地球が時速1700キロメートルで自転しいる限り、夜も朝も、等しくめぐって来る、そして、地球が時速11万キロメートルで公転している限り、同じ夜や同じ朝は存在し得ない。いま、ここにしかない闇と光━━すべては移り変わっていく。一つの科学的な真実━━喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動きつづける限り、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる。
ー夜についてのメモ「夜明けのすべて」より
移動式プラネタリウムのくくりとして、このメモを藤沢さんが音読するシーン、萌音ちゃんの声が素晴らしいということもあるのですが、本当にこのシーンがしみじみ良かったです。
「明けない夜はない」というメッセージは、日本でも様々な歌手が歌っている通り、ものすごく前向きな言葉だととらわれていると思います。英訳すると「It is always darkest before the dawn」もしくは「The night is long that never finds the day.」のいずれかになると言われており、前者が上記のメモにあったイギリスの諺、後者がシェイクスピアの「マクベス」の一シーンの台詞です。(ちなみにGoogleで調べると混同して出てくるので、AIまだまだだな〜と思った)「マクベス」では、権力を持って横暴になったマクベスを討伐する決起のシーンでこの台詞が出てくるため、すごく前向きなメッセージとして捉えられているのだと思います。しかしながら、シェイクスピア全集を訳した翻訳家の松岡和子さんという方はこれを「朝が来なければ夜は永遠に続くからな」と訳したそう。つまり、朝が来ずに明けない夜、悲しみや絶望を含有し続ける可能性もずっとある。「夜明けのすべて/all the long nights」という表題通り、全ての夜が明けなくても、その夜が続いたとしても、その状態から打破しなくても自分や周りが好ましく思えることだってある。もしかしたら引用した「夜についてのメモ」はそんな意味を示唆する内容だったのかもな、と思いました。
ちなみに「マクベス」は「女の股から生まれたものには成敗されない」という予言があったものの、帝王切開から生まれたマグダフに成敗されるという結末を迎えます。古来からヒステリーと言われるものは子宮が語源になっているように、シェイクスピアもこの手の描写が多い作品なのですが、ここにもPMSでイライラする(いわゆるヒステリーと描写されがち)藤沢さんとの繋がりを感じてしまいました。原作読んでないから、上記の「明けない夜はない」も含め、どこまで意識して作品が作られているかは分かりかねるのですが、ぼんやり見ながらも二つの作品の奇妙な縁みたいなものを感じました。あと、シェイクスピアの代表作がよく演じられていた公衆舞台の名前は「地球座」なので、そういう意味でも「太陽が沈んでいるのではなく、地球が勝手に自転しているだけ」というところにも繋がっているのかもなぁ。
タイトルはキャッチーかな、と思ってつけただけで、シェイクスピアはおろか登場人物すらそういう意図で言っていたかわからないよと言うことは断りを入れておこうと思います。最後になりましたが、松村北斗氏の、どこか神経質でややこしそうな人間を表現する力が凄まじかったです。ヨット部の表彰状とか、きっとこの人はずっとマジョリティと呼ばれる人種で、生クリーム好きじゃないんすよね、と無意識に言うほどに人を傷つけてきた過去があるのかもな、と思わせる説得力がすごかった。内在化する傷があることをまずは受け入れること、それを見つめ続けて、可能な限り向き合うこと。そんなことを考えさせられる映画でした。