自分に身体があることを時折不愉快に感じる。たましいだけで生きられたら人はどんなに身軽であろう。その状況を死と呼ぶのだとしたら、「たましいだけで生きる」という表現は矛盾をはらんでいる。
遠く離れてもずっと一緒なんてことはない。人は遠く離れたら、どうせその新天地で新しい人間関係に恵まれ、刺激的な日々を過ごし、元いた場所でのつながりなんて簡単に薄められていく。私たちの身体の場所が私たちの抱く感情をある程度規定してゆく。残念ながら私たちはひどく未熟で、孤独に弱くて、そこそこ適当に生きている。忘れたくないから日記を書く。写真を撮る。絵を描く。忘れるということ、どうにか留めておきたいともがくことは、けして無駄なことではないと信じてる。