混濁の頃:こんなもんかの日々(220513)

まよなか
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なにかしていないと頭がおかしくなりそう。自分はとても弱くて情けない人間だし、無力だし、恋だの愛だののことばかり考えている。

私は何のために生きているのだろう。おとといあの子に訊かれたとき、『自分の思考を止めないため』と答えたが、果たしてそんな大層なことなのだろうか。私の思考が終わったところでこの世界には殆どなんの影響もないでしょ。じゃあ、私が生きている理由って何。

世界主体で考えてしまうのはよくないのかもしれない。自分本位で見たとき、やっぱり自分の生きている理由は「動けるから」、突き詰めれば「生きてるから」なんだよな。生きてるから、生きる。意味不明だけど、なんとなく腑に落ちた。

前みたいに死にたいという気持ちはなくなった。なんでだろう。

過去の日記を読み返す。『私の抱えているもの。生きてたくないなって慢性的に思ってること。クズ親からデキ婚で生まれて、母子家庭であること。自分の容姿が気になりすぎること。挑戦が怖いこと。男性の男性らしさが苦手なこと。すぐに相手をおだててしまうこと。人にうまく話しかけられないこと。あと、こういう生きづらさをぶちまける相手がいないこと。』らしい。挑戦は怖いけど、そのほかの生きづらさはかなり減少しているように思える。男性苦手とか容姿は元恋人に救ってもらえたのかもしれない。今なら元恋人に、ありがとうって伝えられる気がする。心から。救ってはくれてたのかもしれない。あの愛が。

欲望が復活したんだよな。多分。これが10月ごろと今で異なる部分。いや、今もそんな大きな欲はないけど、他人にわかってほしい気持ちとか、ハマれるアニメとか、会いたいと思う人とかができた今は、そこそこ幸せなんじゃないかと思える。一時的な逃避としての死にたいはあっても、それは生きていけるくらいの大きさで。今日もどこかで誰かが泣いていて、誰かが死んでいるのだろうけど、それでも私は生きているし、あの子の夜がかなしいものでありませんように、と願える。

妥協を覚えるということ。考えうる最高の夢を見続けるのではなく、今現実にある中で最善の選択肢を選び取ることを覚えた。大人になるということなのかもしれない、これが。

何もかもが『こんなもんか』で過ぎてゆく。拍子抜けを積み重ねて、そうやって現実の輪郭を少しずつなぞっていく。最高に人間らしいなと思うし、本当につまらないなとも思う。人生ってこんなにつまらない。

大人になったのだろうな。感性が死ぬこと、今ではそんなに悪いこととは思わない。さみしいことではあるけれど、時間が経つことって変化と隣り合わせだから、それが自然体。抗う気力がなくなったのかな。人生に対する、妥協や怠惰に対する受容感が増している。単に夢を見るバイタリティーがなくなっただけかもしれないが。

@highway0
見られたくないようで見られたい、聞いてほしいけど聞かせられないような、そういう思考