混濁の頃:大人になること(220201)

まよなか
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死んだほうが美しく在れることを知っている。知っているのに生きる。時が経てば、いつかきっとそのこともわからなくなるから。そんなことも忘れて生きていけるから。大人になるというのは、かなしいことでもあるね。盲目になること。鈍感になること。転がる宝石に、美しさに目がいかないまま、平々凡々な人生を歩んでいくということ。絶望。若さが絶望しきったとき、私は大人になるのかもしれない。

記憶が更新されて、今が次々に消えていくことが怖いと感じる。それに近い。若い感性が失われていく。あの頃感じた劣等感も、嫉妬も、あの頃好きだったモチーフも、ここには無い。保存されないもので私はできている。それじゃ私ってなんだ?連続性の担保はどうやってなされているのか。永遠を手に入れられないなら消え去ったほうがマシじゃないか? ああそうか、人は死ぬことで初めて永遠を体現できるのか。「永遠に死ぬこと」以外に永遠を叶える方法はないのか。そしたらきっと、人は死ぬときが最も美しい。

平凡に抗いたいんだろうな、私は。自分は他人とは違うと思いたい気持ちが人一倍強かった。それすら最近はなくなってきていて、凡庸な自分と自分の人生とを受け入れつつあるのだけれど。大人になるのが嫌だ。死んでいくのと同じだ。死ぬほうが断然良い。平凡な大人になるなんてただ黙って腐っていくのと同じことだ。汚くて最悪だ。失望しかない。人生が時間が日々が不可逆ならば、今が今より未来のなかでは一番若い。一番美しい。だから本音を言えば、一秒でもはやく死にたい。

あー生きていることが憎いから生きるための行為も憎い。他人との馴れ合いも、肌荒れも、食事も、というか腹が減るということがすごく嫌。あーあ。

@highway0
見られたくないようで見られたい、聞いてほしいけど聞かせられないような、そういう思考