自分の生活を誰かに紹介したい欲求がひとより大きいかもしれない。
楽しいこと、面白いことがあったら割とSNSとかで発信したいタイプだ。そういうことしない人の方がミステリアスで魅力的なのかもしれないな、とか思いながらちまちまツイートする。ストーリーズをあげる。まあどちらも毎日何個も投稿するほどのヘビーユーザーではないのだけれど、周りにSNSに興味ない人が多すぎて相対的に結構やってる側の人間になってる気がする。本当に私の周りは多分大学生平均から大きくずれていると思う。自分が真っ当な人間で、周囲は変人ばかりだ!と主張したいわけではないが、今時の大学生でTwitterもインスタもいまいち興味ない人ばかりでBeRealやってる人なんて本当に見たことなくて、みたいな人ってもはや希少だと思うんだけど、そういう人ばかりいる。そういう人しかいない。新垣結衣って誰?って言うレベルの人が身の回りに少なくとも3人いる。怖い。
あと皆恋愛とかに興味がなさすぎる。いや、そうでもないのかな、これぐらいが世間の平均か。いや、そんなことない。恋愛に興味なさすぎたり、恋愛をしている人もなんか思想が特殊だったりステレオタイプのお付き合い像から外れている気がする。これに関しては自分だってそっち側の自覚があるけど。
こういう特殊な環境で4年過ごしてきて、社会に出るのが今から怖い。悪意とか、迫害とか、冷笑とか、幸いなことにそういうのから隔離されつづけてきた人生だから、なにに対しても耐性がない。温室育ち。なんか自分は世間の平均からズレた思想を持ってる人間だなあって小さい頃からぼんやり思ってて、仲間はずれにされるのが怖くて、いっつも他人の価値観に自分擦り合わせて「みんな」について行ってきた人生だったんだよな。ひとの顔色ばかり伺って生きていた。今もそうだ。とかく「普通」に固執して、「普通」が正しいと信じている。それに合わせることが正義だと思っている。だから、今周囲の人が我流の人生貫き通してるのが羨ましく妬ましいのかもしれない。
でもこうやって、自分の思う「普通」が「普通」であると信じて他人に押し付けて、今の環境をまるで世間からズレてる変な人ばっかりだよって糾弾している自分こそが世界にとって一番悪なのかもしれない。