シンポジウム

hika
·

留学中の大学で開催された、Feminist Peace Research Symposium(フェミニスト平和研究シンポジウム)に参加してきた。朝から夕方までの長丁場だったのでとっっっても疲れたけど、いろいろ感じたこともあるので簡単にまとめておこうと思う。

どんなイベントだったかというと、フェミニスト平和研究という学派の中で研究をしている人たちが、自らの研究結果をプレゼンしたり、フェミニストであり研究者である自らの経験を語る、フェミニストたちの集いといった感じだった。

受講していたフェミニスト平和研究の教授がこのシンポジウムの主催だったことで、私は授業の一環として他の学生たちと一緒に授業内で行った研究のポスターセッションを行ったり、単に他の人の発表を聞く立場で参加した。

まず印象に残っているのは、本当にいろいろなバッググラウンドの研究者たちが参加していたことだ。国籍や、学術的専門分野、ジェンダー。女性的見た目の人が多かったけれど、男性的な人もいたし、アジア、中東、フィンランドと、注目している地域もそれぞれだった。私が見た発表だけでも、子どもの兵役、家族制度が戦争下の女性たちに与える影響、警察組織内における女性の月経、NATOに新しく加盟したフィンランドにおける核抑止論、Pick Up Artist(日本で言うならより悪質なナンパ師たちのあつまり?)などのミソジニスティックなコミュニティについて、SNSにおけるフェミニズムについて…と、本当にバラエティ豊かな内容で、どれもとてもおもしろい研究だった。

研究発表を聞きながら、自分の卒業研究のことを考えた。実際の研究の完成形を見て、やりたいテーマと、調査方法、最終的な完成の形を頭の中で改めて練ることができたし、自分なりにより具体化した研究計画を作る手助けになった気がする。それだけでも、眠い目をこすりながらこのシンポジウムに参加した意義があったと思う。

もう一つ書いておきたいのは、研究者としてのフェミニストのみなさんのリアルな仕事の話を聞けたということ。出版した自分の論文に対してたくさんの意見が送られてきて、どうやってそれを整理しながら返事をしたり、あるいはしなかったり、時には論文を修正するのかといったことや、どうしても燃え尽きそうになる瞬間があるという話があった。持続可能な学びについては私もよく考えるけど、もう何年もアカデミアで過ごし、学びを重ねて職業として研究者になった人でも、生活と学問のバランスを取るのに苦労したり、学びから離れたくなることがあるのだなぁと、当たり前のことではありながらも改めて感じた。

受講しているクラスの教授がよく言っていて、今日も言っていたことがある。もしもフェミニズムという学問に対して、これまで歴史の中で行われてきたたくさんの金字塔的な研究に畏怖を感じたり、自分がこの学問にコミットできていないと感じてimposter syndromeに陥る学生がいるとすれば、それはフェミニズムをつくる学術機関や教授たちの問題である、ということ。フェミニズムをやっていると、アクティビズムの重要性や、机上の理論だけでは意味がないこと、そして築かれてきた膨大に枝分かれしたたくさんの"フェミニズム"たちの存在を思い知るし、その中でめちゃくちゃ苦しくなるし、現実の差別や不平等に常に目を向けることに嫌になる瞬間がたくさんある。けれども、その中でフェミニズムは私なんかが触れていい分野じゃないんだとか、私はフェミニストを名乗れるほどなにもしていない、と感じる必要はないし、そう感じたとしたらそれは個人の問題ではなく、そう感じさせている学術機関の欠陥なのだ。それは本当にそうだなぁと思ったし、同じようなことで苦しんでいる友人にも伝えたいなと思った。

総括して、参加できて本当に良かったと思う。今朝起きた時はあまりに眠たすぎてやる気がなかったのだけど、参加し終えた今は、疲労とともにエネルギーに満ちたフェミニストとしての私がいるのを感じる。フェミニズムの道は長く険しいけれど、うまく休みながら、考えることを決してやめず、人々の差異に目を向け、誰かと共に生きることを諦めないためのこの学問にずっと寄り添っていきたいなと思った。