昔いた職場の人生の大先輩の言葉。昔はほんとうかな?だといいな!と思っていたけれど、今はほんとうだった…という気持ち。というわけで今日は無駄じゃなかったキャリアについてふりかえっていこうと思う。
BtoG案件
新卒2年目でBtoG案件に放り込まれた。オフィスは閉塞感が漂い、頭数だけ揃えられた人たちがやっすいディスプレイとPCとキーボードとマウスでWordとExcelを作り、4GLで帳票を作る仕事をしていた。セクハラは横行し、協力会社の見た目のいい女性がお偉いさんたちの飲み会に供出されていた。
Web系のひとたちからしたら最悪を詰め込んだような職場だろうし、私もセクハラのターゲットにされたので3ヶ月で逃げ出してしまったけれど、得られたものはとても多かった。
仕様書の書き方
公共の文書なので書き方がぱっきりと決まっている。「および」「もしくは」などの言葉は使わず、「または」に統一される。漢字はしっかり開く。変更履歴の管理のしかたも一貫している。その後のドキュメントの書き方に影響があった。
ディシジョンテーブル
仕様書に必要に応じてディシジョンテーブルを書くきまりがあった。そのほかにもテストにまつわる重要なしくみがいくつもあった。
ドメイン知識
BtoGのなかでもごく身近なシステムをあつかっている現場だった。設計書を書くためにドメイン知識が求められるため、長い時間をとってドメイン知識のインプットをしてもらった。その後のSaaSシステム開発に役立ったし、人生の重要な場面でも知識が活きた。
マイナー言語の現場
わたしのキャリアの大半はPHPなのだけれども、GroovyというJVMで動作するLLが採用されている現場に放り込まれたこともあった。ほかにGroovyを採用している日本の現場を知らない。しかし、GroovyにはSpockという超強力なテスティングフレームワークがあり、SeleniumラッパーのGebという強力なテスト自動化ツールもある。ここで培ったお行儀のいいテストの知識はわたしのキャリアの通奏低音になってくれている。
レガシーシステムの現場
10年もののPHP製レガシーシステムが動いている会社で働いていたこともあった。多くの人々がレガシーコードに生活を支えられ、苦しみながらも開発していた。
古いフレームワークのドキュメントにあたってみることや、PHPDocでできるだけ堅牢になるように機能を追加・変更していく姿勢はこのときに身についた。PHP開発のデファクトフレームワークはLaravelになってしまったけれど、その後PhalconやSymfonyで開発するときに大いに役に立ったと思う。
荒野の現場
Webサービスが主たる業務ではない会社にも面白そうだったので入社した。
安価で雑に作られたシステム、仕組み作りに興味のないエンジニアと経営者、ディレクターの中で改善につぐ改善、越境につぐ越境をしていった。フロントエンドフレームワークの導入にはじまって開発フェーズ分割やカンバンの導入、同僚エンジニアと他職種との仲介、CSとのつながりの強化などあのときのわたしはガツガツ働いていたと思う。改善を頑張っていたものの周囲ほとんどから理解や評価、協力が得られず経営者のメンタリティにもどうしても共感できなかったので体を壊して退職してしまった。
入社していなければもっと健康に仕事を続けることができたと今でも思っているけれども、同じ方向を向いて話をしてくれてわたしの提案に対して同じ本の知識に基づいて補足してくれる外部の技術顧問に出会えたことが人生の宝物になった。今のボスです。あのとき出会えて本当によかった!
職務経歴書の上ではあまり輝かない、むしろキャリアの文脈から外れている経験でも、実業務の中では経験が静かに輝き続けてくれている。
以上、ふりかえってみてやっぱりやってみてよかった、と思える経験を並べてみた。長期的に見て自分のキャリアを望まない方向に固定してしまわないように、または持続不可能な労働で消耗しないようにその場から逃げる選択はもちろん有効。それでも逃げてしまったその場所で得られたものは絶対にあるしあまり気に病まなくていいよという話。