東風吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな。などという歌があって太宰府に左遷された菅原道真が梅にむけて詠んだそうな。道真は太宰府で死に、後年怨霊として都で大変恐れられることになるわけだが、自分がいなくなった後も梅の花が咲くように祈るなんて、あまりにも人格者なのに怨霊とかなるか?と思うわけ。私はあと10日ばかりで京都を去るにあたってそののちの桜がなお美しいことがひどく憂鬱なのだが。風よ吹け、我なきのちに咲く花へ。都の春を散らしてしまえ。
昨日はプールが最終日だった。よく一緒になっていた方々とは、殆ど会うことができなくてとても残念だったが、一人だけ3歳になる弱虫ペダル好きの男の子とそのお母さんに挨拶することができた。なおくん。「今日で最後なんでしょ」「ばいばい」と言ってくれたこと、忘れまい。お母さんのほうはわざわざ更衣室によってくれて挨拶に来てくださった。嬉しくて連絡先を交換したくなってしまったが、薄い縁すぎて提案できずに別れた。寂しいけれど縁があったらいつか会えるだろうか……なんてね。もう会えないだろう。
もう会えない人、もう住めない家、もう通らない道。もう訪れない街。歳を重ねるにつれこれが最後だと意識せずに別れた時がそれきりになることが増えていてさびしい。寂しいけれど、でも、同時にそれは、懐旧の中の慕わしさをいつまでも心の中に残すことでもあって、つまりこの世に好きなものが増えていくのだから、無駄な感傷ではない。
とはいえ辛くて、引越しにあんまりやる気が出ない。