お米が届く日

hikitac
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コシヒカリ玄米10kg、長野で農業をしている先輩から送ってもらった。同じスタジオで働いていた同世代の先輩は、いつのまにか移住し、農業をしながら子育てしている。農業も子育てもクリエイティブだよ、と言ってて、ほんとそれな、と思う。子どもができたら移住したいって思ってたけど、先輩は移住したら子どもが欲しくなったと言っていた。何事も、まずは行動なのかもね。

お米はコロナ禍の真っ只中にいたときにお願いするようになった。自分の手で食べるものを作れないことって、生きていく上での支えが一本抜けているようなものだと思っている。そう言えば、小さい頃はおばあちゃんが岩手からお米や野菜を段ボールで届けてくれていた。あれって、実は大きな安心感に繋がっていたのだ。

東京に暮らしていると、土と離れていても暮らせる気になる。けれど、もし流通網が滞ったら、ここで暮らす私たちって、すぐに飢え死にじゃない?何でも悪い方に考える性質。でも、東京や、先進国と呼ばれる国々の人は、私たちが生産地を支えている、なんて顔をしているけれど、本当のところは自分たちが手放したことを誰かに担ってもらっているのだ。分けてもらっている感謝の気持ちを忘れたくない。

ただ、コロナの禍中に強く思っていたことも、時を経て少しずつ変化している。不景気で自分に経済力がなくなってくると、スーパーで安売りされているお米、ふるさと納税で貰えるお米などが大変お得に見えてくる。せめて生協の産直はどうだろう?と、パルシステムのお米を頼んでみたりもした。結局はやはり、顔が浮かぶ人にお願いする方がやっぱり自分には合っていた。

先輩が送ってくれた玄米は、シンプルに米袋一枚で包まれてゆうパックで届けられた。請求書が入っているかな?と包みを開けてみたら、小ぶりなリンゴがお米から顔を出していた。宝探しのように掘ってみたら、紫米が入ったビニール袋も出てきた。お礼のメッセージを送ったら、こうして食べると美味しいよ!というお返事。スタジオマン時代は話しかけることも恐れ多かった先輩と、今こんなやり取りができるのが嬉しい。