金木犀の香りがするという入浴剤をバスタブに撒いた。父親から近所で金木犀が匂いはじめた、と報告がきた日だった。
北海道に移り住んでから十年くらいになるらしい。その間帰阪したのは数回で、いつも秋ではなかった。夏の終わりとか、冬のはじめが多い。一月に帰ったこともあるが、当たり前というか見渡す限りに雪がない。そういえばそうだった、と新鮮に驚いてしまった。
あの甘ったるい香りから遠ざかって十年くらい。好きな匂いだったので名前を見かけると恋しくなる。ボディソープがきれたとき、陳列棚に並んでいた金木犀の香りのものを選んでしまった。私は人工的な甘い匂いが苦手で、後悔することになるのだけれど。苦手だったと忘れて購入してしまう程度には好きなのだとわかってもらえたらいい。
甘すぎる匂いのボディソープは、それでも一週間もすると鼻が慣れて気にならなくなった。
バスタブに入浴剤を撒き、服を脱いで、浴室のドアを開ける。甘い匂いが私に向かってきたが、どうしても金木犀だとは思えなかった。なくなったら買い替えようと思っているボディソープと同じだ。「ただ甘いだけでこれは金木犀の香りじゃない」と思ってしまう。けれども十年も本物をかいでいない私に、わかるのだろうか。わかっているのだろうか。
札幌のとある植物園には金木犀が植っているらしい。でもそうじゃない。街中を歩いているときにふわっと漂ってきて、これはいったいどこから、どこのお家が植えているのか、と辺りを見わたす体験を含めて好きなのだ。「ここに植っていますよ」と言われて会いにいくのはちょっと違う。
お風呂からあがる。全身が甘い匂いになってしまった。香りが好きなだけで、自分がその匂いになりたいわけではなかった。気づくのが遅すぎる。
そしてきっと私はまた性懲りもなく、「金木犀の香り」と表記されたものを買ってしまうのだろう。「これじゃない」と感じるところまで予想がつく。しかも甘ったるさに顔を顰めるに違いない。また忘れてた、と言い訳をして。
私は金木犀の香りという幽霊を追いかけている。