いままでありがとう

湖上比恋乃
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公開:2026/6/22

みゃーこが息を引き取った。

去年のお盆に呼吸がおかしくなり、休み明けに連れていった動物病院でいろいろと検査をしてもらった。

レントゲンに映るのは泣きたくなるほど大きな腫瘍で、テニスボールくらいあったんじゃないだろうかとおもう。実際はわからないけど。

腫瘍の正体がわかったのは九月で、肥満細胞腫だと言われた。つまりは癌である。一年ももたないだろうと告げられた。

帰りの車の中、涙が止まらなかった。

「なんで急に。今までなんともなかったのに」

そんな思いがずっとぐるぐるしていた。

お腹も空かず、ご飯を食べる気にもなれず、やっと口にしたところで粘土を食べているみたいだった。

そんななか友人が送ってくれたシャケがもう、 本当においしくて。ひさしぶりに味を感じたのを覚えている。それからは少しずつ食べられるようになった。

点滴をしたり、お尻に注射を打ったりしながら、癌発覚の原因となった肺炎は治っていった。

すると次に始まったのは錠剤で、一日二回が一種類、一日一回が二種類あった。最初は飲ませるのにずいぶん苦労したが、わりとすぐ慣れたと思う。私もみゃーこも。

みゃーこなんかは、薬の前後にもらえるおやつを目当てにしており、投薬の時間になると鳴いて知らせてきた。乗り気な方がこちらとしてもありがたい。

先生は一年もたないと言っていた。私はなんとなくそのときから六月になるんじゃないかな、と感じていた。根拠はない。

そしてやってきた翌年の六月。みゃーこは別に普通だった。年寄りらしく動きがゆったりになったり、寝る時間が長くなったり、食が細くなったりはしていた。

あいかわらず夜は好きなところで寝ているし、気まぐれにご飯を食べたり水を飲んだり毛繕いをして過ごしていた。

本当に急だった。いつものように夕方の薬を飲んだ直後だった。胃の中のものを吐いた。黄色かった。もうその時点で変だということはわかった。

何度もえづいて吐いたあと、舌をだして息を荒くしている。よだれもひどい。でもすぐに落ち着いた。

そういうことが朝までに数回あった。病院へ向かう道中でもあった。でもそのたびに落ち着いた。

診察が終わり、先生が「今日明日が危ないと思うから、もし明日も来れそうなら来てほしい」と言った。ああもうそこまできていたのか、と思うと同時に、やっぱりの気持ちもあった。昨日の夜の様子からもう危ないんじゃないかとは薄々感じていたからだ。

あの日みたいに泣きながら帰った。せめて家にたどり着きたかった。

でも間に合わなかった。家までちょうど半分ほどのところで大きく鳴いて、ケージの中で私の方に手を伸ばした。声はかけ続けていたけれど、みゃーこの手がケージに当たる音でそっちを見ると、あんなに忙しなく動いていたお腹が止まっていた。その伸ばされた手を取れなかったことに後悔し、家まで帰り着けなかったことを悔やんだ。

車を止めたかったけど、止まるとそのあと進めなくなりそうで止められなかった。というのは今思う言い訳なのかもしれない。でも帰宅後に家族からかかってきた電話に出たとき「よく無事で帰ってこれたな」と言われた。それくらいひどい状態だった。

家に着いて、みゃーこをブランケットの上に寝かせた。上で寝ていることが多かったのでお気に入りだったはずだ。

そうしてひとしきり泣いたり、いろんなところへ連絡したりしてから、穴を掘った。みゃーこの新しい住処である。明日そこへ移して、花を植える予定だ。黄色とかオレンジとか、なんかそういう色の花がいい。

私のベッドのすぐそばにある窓の下だ。新しいみゃーこのお気に入りスポットになるよう願っている。

いままでありがとう。

二〇二六年六月二十二日、十一歳でみゃーこは亡くなった。

@hikono
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