「『優しさ』とは」について考えたこと。
争いはないほうがいいと思っている。
例えば「嫌なことを言われた」時。嫌なことを言うのは良くない。そういう類の争いはないほうがいい。でも、嫌なこと言われたことに関して反論したり、怒りを持ったり、裁判だったり、そういう類の争いは必要だと思う。
「しょうがない」が過ぎると「当たり前」になると思う。
それは、「棘」に対して発動すると、自分が透明になる。『ムーミン谷の仲間たち』に出てくる「ニンニ」のように。そして、例えば「障害者」などに対して発動すると、「多様性を認める」だとかそういうことになるのでは。
(「多様性を認める」なキャッチコピーに違和感を覚えるのは、「しょうがない」を経由しようとしていないから?)
何もかもが当たり前になると、マイナスの感情だけじゃなく、プラスの感情に対しても、当たり前と思うようになる。感謝の気持ちを持てなくなる。それは嫌だ。