寒い暑い

ひまな
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ども。

朝晩の寒暖の差が激しいと亡くなる人が多い。

温度管理されてる病院でも多くなるようだから、気圧の差かも。しらんけど。

そういえばと思い『お悔やみ欄』で検索したらwikiの記事がひっかかる。100年近く前のエログロナンセンス時代のブラックユーモアすごい。

ざっくり言うと、『12月号に続いて新年号も発禁処分になって東京三田署が回収して焚書。待て2月号発刊』みたいな。

『読売新聞』1928年12月30日号朝刊「グロテスク新年号」死亡御通知/グロテスク社/梅原北明

ちなみに発禁本はデジタル化されてて、以下のサービスで「特500*」または「特501*」を検索すると出てくるが....

オリジナルの月刊?グロテスクはなかった。

複製版(2015年)はあったけど、デジタル化されてない。

話はかわって。

んで適当にその年代を見ていくと、昭和8年頃に「死のう団」が「死のう死のう」言って練り歩いたり(昭和12年2月18日の毎日新聞夕刊に"5人 割腹"の見だしあり。これって"死ね死ね団"の元ネタ?)。新聞の索引は面白いなー。戦争とか日本の大きな流れがわかる。

んで今度は官報系をサーチでぺらぺらと調べていくと、昭和15年当たりの官報に寄付とか戦死者とか載ってる。

「国防充実費として陸軍省へ金xx万円を寄付す xxx会社」とかが並んでたり、「6日中支那に於て戦死、xx県xx郡xx村xx番地 陸軍歩兵上等兵 xxxx」とか、戦死か戦傷死か病死が並んでる。あー。すごいというかなんとも言いようが無い。

んで、昭和20年だと京都府で行旅死亡人(行路死亡人)が多数。疎開先でとか、大阪空襲で搬送後に、っぽい。行旅死亡人の書き方は昔から統一?されてるのね。「一見ルンペン風、一見農家風」とか私見が書いてあったりするけど。

とりま、完全に無くなる前に終結したから復興も早かったのかな?