3月29日

海洋生物
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魔性の女というのはいるもので、身近な代表例といえば母親だ。いいと思った男は必ず自分のものにしてきたし、いらないと思うとすぐに捨ててしまうような、人の人生をめちゃくちゃに掻き乱すタイプの人間。当然のように顔がよくて、口癖のように「美人は得をする」と言っていた。

そんな母親に何度も「お前は美人でよかったね、ブスは損だからね」と呪いのように言い聞かせ続けられれば、嫌でもルッキズムに陥るのは想像に難くないと思う。母親や家族に過剰なまでに容姿を褒められることで、外部からの評価とのギャップで何も信用できなくなった。頭のおかしい家族が自分を美人だといい、おそらく「普通」の家庭で育ったクラスの男子がブスだと言うなら、たぶん自分はブスなんだろうと思うのも、やっぱり想像に難くない出来事だと思う。

友人や上司先輩、いろんな人にマッチングアプリを勧められるから少しやってみることにしたが、人の名前と顔を見た瞬間に行われる容姿のジャッジが怖い。自分が母親、ひいては他の家族と同じように、容姿が良いことが全てであると判断しているかのような感覚になって、自分がものすごく酷いことをしているようで怖くなる。

白か黒かで生きてきた。グレーなんて存在しなかった。とまで言い切るのはやりすぎな気もするが、いつも「どちらか一方」だったし、0か100かのような生き方はいまだに変わっていないと思う。女か男か。美人かそうでないか。すきか嫌いか。そういう生き方をするようになった原因は家族にあるとしても、生きていくのは私であるから、私が意思決定をして行動をしていくことで全ては変えられるはずだから諦めてはいけないと思う。思ってる、のに、上手くいかない。

バイセクシャルなんじゃなくてただの反抗なのかもしれないし、実際にバイセクシャルなのかもしれない、分からない。女しか愛せないより男も愛せた方が生き方として素敵だと思うからそう言ってるだけかもしれない。

自分のことなのに自分のことが何一つ分からない。こんなに考えているのに自分のことを把握できていない。ただわかるのは自分が考えすぎな性格で鬱病患者であるということだけだ。

何かを決め切ることが悪とするなら、性別によって愛するかどうか決めるのも悪だ。どちらかに染まることが悪とするなら、愛する対象によって態度を変えるのも悪だ。自分の周りにはたくさんの悪があって、それに染まったり、染まらないように反抗したりしながら生きていて、その悪が本当に悪いのかどうかも分からないまま生きている。

男に対して媚びるように振る舞い、女の子に対してかっこつける、みたいな、

価値観やそこから出る無意識の発言や行動は簡単には変わらない。簡単には変わらないからこそ毎日毎日少しずつ矯正していく必要があるんだと思うが、その進歩がミリにも至らなければ嫌になるのも人間として当然だと思う。わがままだろうか、焦りすぎだろうか?

精神的に参っている人間に「無条件に愛してくれる存在」が必要だという主張に反論したい。どうしても抗いたい。自分一人だって大丈夫なのだと言いたい。世の中には恋愛をしない人だっていて、じゃあその人が精神疾患に罹患したら一生そのままなのか? そんなことはないはずだし、あってはならないと思う。鬱病の患者に恋人を作ることを勧める人に私はなりたくない。

カウンセラーという仕事をしている人がいる以上、恋人やそれに準ずる仲の良い人間にその役割を肩代わりさせるのは違法労働だししてはいけないことだと思う。だから頼れない、人に話を聞かせられない、気軽にそんなことをしてはいけないと思う。

とか、そんな高尚なことを言っていられるほど余裕ある状況じゃないことも確かで、頼れるものは全て頼って活用しないといけないのも分かってる。

分かってるけど嫌だ。すごく悪いことをしているみたいで。いつも後悔する、自分の悩みを人に聞いてもらったあと、たくさん自分が喋ったあと、「ああカウンセリングさせてしまったな、無賃で」と思う、

何も返せないのにもらってばかりで嫌になる。

母親はもらえるものはもらっておけ、使えるものは何だって使え、1円も無駄にするなという考えだったわけだから、人間だろうと何だろうといいように使っている。その精神性を真似してみれば自分も楽になれるかなと思ったが無理だった。

結局は手負いのライオンのままで、怪我をしているから触られると噛みついてしまう。治療のために動かない? じっとしている? ゆっくり休む? そんなことをしていたら飢えて死んでしまう。狩りをしないといけない。歩いていかなければならない、そういう焦りがいつもいつもいつもいつもずっとそばから離れなくて心が休まらない。のだと思う。多分。

私は悪人だから、善人にならなくちゃ、と思う。こんなに悪いんだから早く矯正しなくちゃって

結局マッチングアプリはやめた。課金しないといけないし。

友情を覚悟、恋愛を責任とするなら、責任には必ず覚悟が伴うものだと思う。だから恋愛の前には必ず友情のフェーズが存在しているし、友情から恋愛へと続くグラデーションの下地には必ず愛が存在しているのだと思う。

友情には約束がないから、脆くて壊れやすいから、覚悟をもって生きて接していなければ友情なんてすぐに消えてなくなってしまう。恋愛の方が責任で縛られていてある種長く続くのだと思う。

恋の賞味期限とかいうものが3年までなんてよく聞くが、6年も付き合っていて恋だった時間はいったいどれほどかなとか思う、恋じゃなくなってもいっしょにいられたのは、恋愛から友情へと移動しつつありながらも、下地に愛があったからだと思う、別れたけど

別れたけど……

相手が嫌がることをしない、尊敬を持って扱う、対等に見る、っていうのは、無意識でできるならそれは立派なことだと思うが、私のような人間にはそんなに簡単にできることじゃないから覚悟が必要になる。

傷つけないようにするのが友情なら傷つけても責任をとるのが恋愛だ、相手の人生に寄り添うのが友情なら相手の人生に介入するのが恋愛だ、

なんで明日の夕飯ですら悩んでるやつが恋と愛と友情の違いなんかをこんな一生懸命考えてるんでしょうね

これがライフワークだから……

疲れたのでこの辺で