世界はあまりにも忙しなく、そしてはやい。
山道を一歩一歩たいせつに進むときに聞こえる自分の足音みたいな、確かに今わたしはここにいて、足を動かしているなという確信は、都会の人間生活の狭間に溺れ、姿を消してしまう。動く歩道に半ば無意識に搭乗し、摩擦なく不自然に滑り進むような毎日だ。感覚がついていかないチグハグに戸惑う。
人には人それぞれのペースがあると思う。わたしはとっても遅い。はたから見ると、わたしこそ忙しなく動き回り、喧騒の中にいるどころか喧騒をつくりだしてしまっている張本人であるとまで言われそうだ。だけど、とっても遅い。
ひとつひとつの感覚と、記憶と、全てをゆっくり咀嚼して、ようやく納得して歩を進めることに一番の心地よさを覚える。だから、1日に全部詰め込んでやりましたみたいな日は、せいぜい週3ぐらいが限界で、それ以上は心ここに在らずでただこなしてしまう。そして毎晩、思うのだ。今日もまた足りなかった...(体力が)5時間人に会ったり外部からの刺激を入力したのなら、その日のうちに少なくとも2.5時間は1人でそれらを解釈して出力したい。この理想的なバランスを取るのは、切り替えに時間がかかるという課題も相まってなかなか実現に難航している。もちろん、ソーシャルメディアの早さなんてものとは、めっぽう相性が悪い。氾濫する情報量が脳みそに入り込んできて、制御不能になる。エゴエゴしさにまみれた他人の様子を、なんとも言えない感情で眺めてしまうので、全部やめてしまおうかと、結構な頻度で企む。ニュースなんてものも本当だったら見たくない。知らんぷりしてたい。1日に取り込む情報は、少なければ少ないだけわたしはわたしらしく呼吸ができる。
そんなこんななわけで、もっと実感を持って、生を持って毎日を生きるために、わたしはもっとたくさん書くことをしよう。脳内にぷかぷか浮かぶ無数の記憶の塵を、かき分けて固めてカタチを彫刻する。言葉をもって、輪郭が浮き彫りになる。だから書く。ちゃんと自分の腹の底からの言葉を聴く。そんな場所にしよう。
はじめまして、しずかなインターネットさん。今日からよろしくお願いします