こちらは過去に出した二次創作本に載せた、朝ドラ『おかえりモネ』の感想文です。二次創作で楽しませてもらっただけでなく、純粋に一つのドラマとしてもすごく惚れ込んでいたので長い感想文になりました(1万3千字超!)😂
東日本大震災時やこのドラマ放送時の自分のこと、放送終わってから気仙沼に旅行に行ったことなど、個人的なこともたくさん書いた思い入れのある感想文です。せっかくなのでしずインにも収録しておきます。
要約すると『おかえりモネ』サイコー!って言ってるだけです!
環境問題に正面から挑む朝ドラ
最初にこの朝ドラのヒロインが気象予報士を目指すと知ったとき、いまいちピンときませんでした。というのもわたし自身、気象予報士という仕事について、テレビでお天気を教えてくれる人、くらいのイメージしかなかったからです。
のちにわかるのですが、このドラマのテーマの一つは環境問題でした。気候変動による夏の気温の上昇、過去になかったような大雨による河川の氾濫は現代を生きるわたしたちにとって身近で深刻な問題です。そしてその問題に密接に関わるのが気象予報士でした。
気象災害を引き起こすかもしれない天気の予測の必要性はもちろんのこと、それ以外にも、野坂さんが気象の知識を利用して防災の仕事に関わろうとしたこと、木が安く買い叩かれ林業が立ち行かなくなっていることが土砂災害を引き起こす遠因となっていること。このドラマはいろんな側面からこの国における気象災害と環境問題について光を当ててくれました。
東京編では土砂災害が繰り返す場所に人は住み続けられるのかという難しい問いがありました。
私の地元の県内でも、ドラマの何年か前から二年連続で大規模な冠水が起きた土地がありました。住宅が冠水すれば日常生活に戻るまでには、体力も精神も経済的にも大きく削られることは容易に想像できます。だからわたしも、そこに人は住み続けられるんだろうか、と実際に考えたことがあります。
人間の手には負えない自然災害からどうやって人間の生活を守るか、立て直すか、というテーマは震災や津波とも繋がる話でした。
被災地である海の街に生まれ、山の仕事に携わり、やがて気象予報士になるというヒロインの人生に、このドラマのテーマが詰まってたんだな、と振り返ってしみじみ感動しました。
当事者/非当事者を繋ぐもの
この物語は震災をテーマにしながら、それにとどまらず繰り返し、当事者と非当事者の関係性を描いていていきます。その物語の中で主役のモネが、あの震災と津波において当事者と非当事者の両方であったことが設定の肝でした。
遠い視点から見た時、例えば莉子から見れば、モネは被災者になる。だけど近い視点から見た時、モネは震災当時、島にはいなかったし、家も家族も失ってない。一方、幼なじみの亮は津波で家と母親と船を失い、唯一の家族である父はアルコールに溺れました。多くのものを失った亮の前で、モネは自分を非当事者と感じたでしょう。永浦家の中でも、たった13歳の身で頼れる家族が近くにいない状況で津波を経験した未知の存在があります。「お姉ちゃん見てないもんね、津波」という未知の言葉が二人姉妹の間に見えない線を引きました。
「当事者」である未知や亮と「非当事者」であるモネはわかり合えるのか。「当事者」であるモネと「非当事者」である菅波は共に生きていくことができるのか。
「あなたが抱えてきた痛みを想像することで、自分が見えてる世界が二倍になった」「僕にはあなたの痛みはわかりません。でもわかりたいと思ってます」という菅波の言葉がありました。そこに見えるキーワードは「他者の痛みへの想像力」だと思います。
だけど、どんなに思いやりのある人の言葉だったとしても、それが的確なアドバイスだったとしても、その発言をした人との関係性によっては受け入れられない、心に留まらない場合もあるでしょう。
傷ついた人にどう寄り添うか。どんな言葉に人は救われるのか。
どうしたら言葉は届くのか
竜巻で実家に被害があったと知り動揺するモネに菅波は自分で行って確認してくるよう説得します。モネが行ってから「あそこまで踏み込んでよかったのか…」と少し不安そうに言う菅波に、「先生だから言えるんだし、だからモネちゃんも動くんじゃない。とってもいい関係よ」と奈津が励ますように言いました。
登米時代に津波の話をモネが話したとき、菅波は踏み込んだことは言えなかったし触れることもできなかった。だけど数年経ち関係性も変わったモネと菅波には強固な信頼関係が生まれてました。だから菅波は踏み込んだことを言えたし、モネは菅波の言葉を素直に受け入れることができました。
東京編の莉子の悩みとも繋がる話です。「私の言葉には説得力がない」ゆえに「信用されない」。悩み抜いた莉子の出した結論は「考える」でした。いろんな人が、いろんな立場の人がいる。その人たちのことを考えて話す。それは「他者の痛みへの想像力」です。実感のあるコメントの積み重ねによって莉子は報道キャスターへの道を掴みました。
なぜ自分をキャスターに選んだのかと内田に問われた朝岡は「人は何となく信頼できる人の言葉しか聞かない。だから信頼される人になってください」と答えます。
それは終盤にモネがぶつかる壁でもありました。東京でのわかりやすい成功を捨てて地元に戻ってきたモネを地元の人たちは理解できません。それは信用できない、と同義でした。信用されないモネの言葉はなかなか人に届きません。「しぶとく」やって小さな実績を積み重ねて信頼を勝ち得るしかありませんでした。
非当事者と当事者を繋ぐのは「他者の痛みへの想像力」、そしてその言葉が届くような信頼関係の構築であると、『おかえりモネ』は提示します。
当事者より非当事者のほうがより深く考えるべき、という言葉もありました。痛みに耐える当事者より非当事者の冷静な判断が必要な時がある、当事者じゃないからこそ手助けできることもある、と。
当事者たちだけでは行き詰まってしまう問題に、信頼関係のある非当事者が想像力と思いやりを持って介入することで解決への道筋が見えることがある。
分断された当事者と非当事者が手を取り合うことができるかもしれない、そんな一筋の光のような未来をこのドラマは示してくれました。
りょーちんが背負ったもの
モネの幼馴染であるりょーちんの物語ではヤングケアラー問題が描かれました。
家庭内でケアを担わされていた子供たちのインタビューを読むと、その多くが、外部に助けを求めようとは思わなかった、そんなことをすれば家族と引き離されると思ったから、と答えていて胸が詰まります。亮もまた、モネや幼馴染の前ではいつも、大丈夫、と健気に笑います。
でも本当はちっとも大丈夫ではないことを、彼の周りの人たちはわかってます。
「全部やめてもいいかな」と電話越しに亮が吐露するシーンがあります。モネは「やめてもいいと思う」と答えたし私もそう思いました。やめていいし逃げていい。違う場所で生きていい。でもそれでは亮は救われなかった。新次が立ち直って船に乗ってほしいという願いはいつしか亮にとっての呪いとなりました。
呪いを解くことは本当に難しい。どこまで行ってもケースバイケースで正解がないからです。だから本人が、身近な人たちが、試行錯誤しながら正解を探っていくしかない。及川家の場合、まずは新次が美波の死を受け入れ、自分の来し方を決断する必要がありました。海で生きるのはあの日を最後にしたい、もう船には乗らない、という新次の決断は亮の望み通りではなかったけど、亮は過去への未練を断ち切ることができました。
この物語は、心の傷に誰にでも効く特効薬はないし、それぞれに時間がかかるし、それで良いのだと肯定し続けてくれたと思います。
新次を支え続けた、耕治と亜哉子の愛情深い行動にも泣かされるものがありました。親世代の友情が描かれたこともこのドラマの好きなポイントの一つです。
未知とモネ、未知と亮
未知は最終週で明かされる、津波の日の行動を、後悔を、ずっと抱えて生きてきたキャラクターです。自分を許せない、だからここにいて役に立ちたい、と。未知が自らにかけた鎖はモネのそれより重いものでした。姉はもちろん、信頼している祖父や父母にも言えなかったのだと、それを想像すると泣いてしまいそうになります。たったの13歳だったのに。
未知はモネのことが大好きだけど、「お姉ちゃんはずるい」というアンビバレントな感情に時々引き裂かれます。未知から見たモネは、地元を出てやりたいことを見つけて成功し、好きな人に愛された幸せな人でした。それなのに自分の好きな人までも自分よりモネが好きなのだと。
水産業に興味があるのは本当だけど、モネが先に出て行った以上、自分が家を守らなければいけない、家業を継がなければならないという義務感もあったでしょう。「私はどこにも行けない」という呪いに未知もまた囚われてました。
そんな未知の鎖を緩めることができたのはやっぱりモネでした。抱えてしまった罪悪感に特効薬などないことをモネは知っています。自分が時間をかけてサヤカや菅波に助けてもらったことを、今度は未知にしてあげたいと思う。こういうところにも「循環」というこのドラマのテーマが見えます。
また亮も、自分と父親の関係にケリをつけたことで初めて、未知を支える側に立とうとします。未知の痛みを理解しようとする亮に、精神的な成長を感じました。
モネが外の人間である菅波に救われたように、同じ痛みを知っている近い相手だからやっと心を許せる、救われるということもあると思います。いろんな決断を肯定するドラマです。
亮がこちらを向いてくれたことと重なるように、モネが家に戻ってきていて、耕治が永浦水産を継ぐと決めました。大事な身近な人たちとのバランスが大きく変わったことで、未知はやっと地元を出て大学に行く決心ができました。
未知の心の解放はこのドラマの一つのゴールだったのだと思います。
地元で生きること
地元で生き続けること、地元に戻ること、は保守性の高い朝ドラでよく描かれるヒロインの生き方です。「これからは地方の時代だ!」と言ったのはあまちゃんの大吉さんですが、現実問題、地方で女性が稼ぐのはなかなか難しい。どこかファンタジーになってしまいがちです。『おかえりモネ』はこの問題にリアルに挑みました。
地元で新しい仕事、しかもサービス業以外の専門性の高い仕事を始めることは本当に厳しいと思います。だから最後の気仙沼編はモネガチ勢の私たちにとっては辛い展開が続きました。なくてもなんとかなっていたものにお金を払う人はいないんです。
「東京でテレビに出ていた」というわかりやすい成功を捨てて地元に戻ってきたモネは、いろんな人たちから「何で帰ってきたの?」「綺麗事だね」と厳しい言葉を投げられます。わかりやすい評価基準とは逆に見える選択肢を選ぶことは他者から理解されにくい。安易な成功は最後まで描かれませんでした。
ボランティアで東京から気仙沼に来ていた水野さんが気落ちした表情で気仙沼を去ったことも併せて、地方で生きることの難しさも垣間見えました。
結局は小さな成果を重ねて信頼を積み重ねていくしかないという誠実な答えは、莉子の出した答えと同じでもありました。
私もまた地元を出て東京に住んでいる人間ですが、もしこれから先なんらかの理由があって地元に戻ったら、絶対に誰からも「何で帰ってきたの?」と聞かれるだろうし、たとえば親の介護とか、わかりやすい理由がないと、相手に悪意はなくても居心地の悪い思いをすることは容易に想像できます。
地元で生きることも、地元に戻ることも、ただの理想では描かなかったこのドラマが好きです。
年長者の矜持、大人が子供を守る物語
地元で生きることは家業を継ぐ継がない問題とも密接に関わってきます。『おかえりモネ』の中でも住職の息子である三生が寺を継ぐか継がないか、永浦水産をどうするのか、という問題が描かれます。
この物語の好きなところの一つに、親たちが子供たちに「好きに生きろ」と言い続けてくれることがあります。震災と津波の経験によって地元に囚われてしまう若者たちに、もっと広く見れば同調圧力の強いこの国に生まれ育った若者たちに、もっと自由に生きてほしい、というメッセージ。
『企画の原点に、宮城県のとある中学校の生徒が、避難所となった体育館で、卒業式の答辞を読み上げている映像があります。
涙を流しながら、「自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました」と語り、「見守っていてください、必ずよき社会人になります」と決意と覚悟を宣言していました。深く感動すると共に、苦しくもなりました。
この子たちは、私たちがそうであったように、間違ったり回り道したり、くだらないことに必死になる自由があるだろうかと。あなたたちはどこで何になってもいいのだ、それをどうか忘れないでと願わずにいられませんでした。』
『とにかく大人にならねばならなかった、希望にならねばならなかった子ども達の、その後の人生の奮闘や葛藤を見つめたいと思ったのが、企画の原点です。』
(チーフ演出・一木正恵さんのnoteより)
わたしもこの中学生の慟哭のような答辞を気仙沼の震災遺構・伝承館で見ました。わたしも見ながら胸が苦しかったです。あなたの決意は尊い。だけどもっと好きに生きていいんだよと。だってまだ、たったの十五歳なんだから。
だからこのドラマの幼馴染のなかで、地元には帰らない、好きな人のそばにいたい、と東京で軽やかに生きるすーちゃんの存在を描いてくれたことは本当に嬉しかったです。
連帯する女性たち
女性の連帯が描かれたことも本当に大好きなポイントでした。
後輩をセクハラ発言から守ろうとする野坂さん。憤る莉子に「あなたが戦う場所は私が死守するから」と励ます高村さん。女が仕事を続けるのは難しいことだからと、亜哉子が教師の仕事を続けることを応援してくれた雅代さん、好きなことしていいのよと繰り返し娘たちに伝える亜哉子さん。
安達さんの脚本は『透明なゆりかご』や『G線上のあなたと私』でもそうでしたが、立場の違う女性を連帯させることを意識的に描いてると思います。そういうところが本当に好きだし、そういう物語をわたしたちは欲しているんだということにも気付かせてくれます。
裏に引かざるを得なかった高村さんが再び表舞台に立つ、というエモーショナルな場面を見せてくれたことも心に残ってます。「理不尽と闘ってください」というのは別場面で出たセリフですが、理不尽と闘わざるを得なかった女性が、時を置いてそれを乗り越えるところまでを描いてくれたことにグッときてしまいました。
『何か起こらなくても、人が人を思いやるだけでドラマになっている。』
というのは脚本に対する一木さんの言葉ですが、本当にそうだな、私が好きなドラマはこういうのだな、と改めて思いました。胸に刻みたい言葉です。
モネと菅波の恋
このしんどい物語の中で清涼剤のようだった二人の恋は、改めて考えると二人の関係性は設定と構成が絶妙だったな!と思います。
教える、教えられる、の師弟関係から始まる恋は古典的な少女漫画的萌え関係だと思うのですが、それをそのまま現代でやってしまうと、ジェンダー規範や権力勾配を感じて気になってしまう視聴者も出たんじゃないかなと思います。
だけどモネは気象予報士、菅波は医者で、二人はジャンルが違いました。基礎的な科学知識の部分で、二人は教える、教えられるの師弟関係から始まりましたが、モネが気象予報士試験に合格し東京に行ったことで、二人の師弟関係は解消されました。そこから半年間のインターバルを置いて再会し、恋愛関係が発生する。師弟関係から始まる恋という萌えは残したまま、フラットな恋愛関係を結ぶという離れ業、最高でした。
また、モネが菅波を好きになって菅波がそれを受け入れる、という形だとこんなにグッとこなかったと思うんです。菅波が外堀を埋めてるんだか埋めてないんだかよくわからないけど一人でドタバタしてるのがおもしろかった(笑)。
両思いになってからは、それまでは基本的にモネをケアする側であった菅波がモネの前では本音をこぼしたり、モネもそれを敏感に感じ取って菅波をケアしようとします。互いにケアしあける、理想的なカップルでしたよね。
また普通はヒロインの方に何らかの特徴付けがされると思うのですが、本作ではヒロインのモネは「真面目で優しい子」という朝ドラヒロインにしてはかなりおとなしめの造形でした。そのぶん菅波の方が、理屈っぽい・めんどくさい・空間認識力に欠ける・サメが好き等の個性が追加され、それでも坂口さんがインタビューなどで語っていたように面白くしすぎない、絶妙な塩梅のキャラクターだったと思います。
ヒロインに対して一途、というのもカップルとしての可愛さだけじゃなく、二人の関係が安定しているからこそ安心して物語に集中できる効能もありました。
菅波人気を思うと、やっぱり今の視聴者って恋愛で心をすり減らしたくないのかな…と思いますし、また一方で、菅波のようなキャラがフィクションで描かれて人気を博すことは現実にも少なからず影響を及ぼすんじゃないかな〜と思いたいです。
誠実さ、大事です!
ケアする物語
『おかえりモネ』はケアを重視した物語だったなと思います。長らく社会で軽視されていたケアワークが実はその社会を支えていたことはコロナ以降、より可視化されてきたように思います。
そもそもモネも菅波も「人を助けたい」という思いから職業を選んだ生粋のケアラーです。モネを受け入れたサヤカさん、新次の病院通いに付き添う亜哉子さん、宇田川さんをサポートする奈津さんなど、家族の枠を超えたケアの場面がたくさん見られたドラマでした。
モネが華やかなテレビ局の仕事を辞めて気仙沼に帰ったこと、菅波が東京の大学病院を離れて理行き医療に専念しようとしたことも、中央集権的で資本主義的な社会の価値観からの脱却の物語であるようにも思えます。
この意味でも、地方で生きることの価値が再発見されている現実と地続きのドラマでした。
関係ないように見えるものが繋がってる脚本
「なーんも関係ねえように見えるもんが、何がの役に立つっていうごどは、世の中にいっぺえあるんだよ」というのは植樹祭で祖父の龍巳さんが言った言葉ですが、脚本自体がまさにその言葉そのものでした。
例えば、気象の勉強で菅波に教えてもらった「蒸発」という現象が、その時モネが仕事で取り組んでいた学習机作りに役に立ったこと。朝岡からキャスターを引き継いだ莉子が視聴率に悩むという、一見表層的に見える問題が、このドラマの本質的なテーマである当事者に寄り添うための「信用」を解きほぐしたこと。
それぞれのエピソードが流れるように繋がってるかと思えば、未知や亜哉子のトラウマが終盤になって明かされるなど驚くようなロングパスもありました。
朝ドラという特殊な枠の良いところを存分に利用しつつも、安易な大円団には終わらせない。関係ないようなものが繋がってる、循環の物語は物語を超えて現実に深くリンクしていきました。本当に見事な脚本だったと思います。
安達奈緒子先生、一生推します!
物語の世界に没入できる制作の良さ
わたしがこのドラマを好きな理由の一つに、きちんとプランを持って製作されたドラマだということがあります。朝ドラはセット撮影が多いのですが、『おかえりモネ』のここぞと言うときのロケシーンの美しさは格別でした。森や木の美しさ、海や島の美しさ、移流霧や気嵐の美しさ。物語全体を俯瞰し、ロケポイントを撮影前からきっちり決めて作られたドラマであるように感じました。
セットのシーンでも光の表現が嘘っぽくないせいか、いかにもセット!と言う感じがしなかったのも良かったです。
美術も素晴らしかったと思います。ほんのワンシーンしか映らない店の背景までよく作り込まれてます。永浦家の居間も、謎のお土産みたいなのが掛けられた壁、酒瓶の並ぶサイドボード、あぁ実家!感(笑)。
東屋や囲炉裏、温室のあるサヤカさんの素敵な家、みんなが顔を合わせることができる登米夢想のレイアウト、汐見湯のコミュニティスペースの明るさ、コインランドリーの絶妙な古さも、全部大好きでした。
衣装やヘアセットなども、役者さんをよく見せることよりも、物語の中のキャラクターにどう落とし込んでいくか、を重視して作られていたと思います。『おかえりモネ』に出演されていた役者さんたちの他の作品はその後もたくさん見てますが、『おかえりモネ』を見返したとき、役者さんご本人の存在をあまり感じないんです。モネはモネだと思うし、菅波は菅波で何度見てもダサいなって思います(坂口健太郎なのに!)。
物語の世界に視聴者を没頭させる、物語に集中してもらうためには、ライティングや美術、衣装まで、もちろん役者さんの演技も、本当にたくさんの努力の結晶なんだなぁと改めて思います。
あの日のこと
2023年のGW、わたしは初めて気仙沼に行きました。駅にも船着場にも「おかえりモネの街」と描かれたステッカーや旗がたくさんあるのでテンションが上がり、いちファンとして嬉しかったです。駅は少し高台にあって、タクシーでゆるゆると降っていくと海が見えました。あの美しい内湾が。
私にとって気仙沼はもちろん『おかえりモネ』の街ですが、その前を遡ればやはり2011年3月11日のあの日の夜を思い出します。齧り付いて見ていたテレビで気仙沼の街が燃えているのを見ました。真っ暗ななか、あちこちから火の手が上がり街全体が燃えているようでした。まるで戦地のようだと思ったことを強く覚えてます。
当時よくTBSラジオを聴いていたのでパーソナリティの生島敦さんのことは知っていたのですが、気仙沼出身だということは震災直後に知りました。気仙沼に住む姉と連絡が取れないのだと、震災の数日後には動揺した声で話されていたように記憶しています。
そのころ私は東京にいて、産後五ヶ月で仕事は休んでいて、日々本当かどうかわからない情報を追いながら赤子と二人の長い時間を過ごしてました。赤ちゃんのミルクには水道水は使わないように、というお知らせがありました。公園の隅にある枯れ葉には放射能の濃度が高いので子供に触れさせないように、という注意喚起もありました。
東北沿岸部の目を覆いたくなるような被災地の様子に胸を痛めながら、わたし自身は見えない放射能の恐怖に日々心を削られていました。そのことを思い出したのは実は最近です。
当時は、自分の置かれた状況なんて大したことではないと思ってました。家や家族、故郷そのものを失った、もっと大変な人がたくさんいるから。だけどもっと大変な被害を受けた人に比べたら大したことない、と思うこと自体もまたサバイバーズギルドなのだと、本を読んで知りました。
激しい揺れを初めて体験したこと、初めての子がまだ乳児であったこと、目に見えない放射能という脅威があったこと。今冷静に思い返すとふつうではない状況だったのだと思います。放射能事故のあった福島を中心とした被災の円の、端っこにはいたんだなと今は思います。
ただわたしもまた、福島の原発から送られる電気によって生活を支えられていた都民の一人であったことも事実です。生まれ育った町ごと失った人たちの苦しみを想像するたび、もうこの国に原発はいらない、と強く思います。
『おかえりモネ』を見たことで、自分の中にも痛みはあったことを忘れず、ちゃんとその痛みの存在を認めたほうがいいんだと、教えてもらった気がしています。
誰もが当事者となった新型コロナの時代
2020年の1月には国内で初めて新型コロナに罹患した患者が確認されました。
『おかえりモネ』の世界でも呼吸器外科の菅波が気仙沼から東京に呼び戻され、そこから二年半、二人は会えませんでした。
会いたい人に会えない。どこにも行けない。
新型コロナの流行は世界中の誰もが当事者になりました。
わたしはと言えば、突然の休校による精神的及び金銭的負担。マスク、手洗い、除菌、オンライン授業。家庭を運営するものとして気が張ったまま、疲労だけが積み重なってました。
追い打ちをかけるように2021年、一年延期になった東京オリンピックが開催されることが決定しました。当時はまだ新型コロナで重症化しても受け入れられる病床が足りず、入院できないかもしれないという状況でした。しかも、都内の小中学生はオリンピック観戦の予定が組まれてました。
子供がらみのイベントは全て中止され、帰省もできず、旅行も外食もできず、という状況下で、オリンピックの会場には動員されるかもしれない、という矛盾。もちろん強制参加ではありませんが、日々状況が変わる中で、参加するかしないかを保護者の決断に任されることさえかなりの精神的負担を感じました。結果的には観覧予定の数日前(!)に中止が決定されましたが…。
そんなふうにコロナで一番ストレスを受けていた頃、2021年5月から10月まで放送されたのが『おかえりモネ』でした。
最初はただドラマとして夢中になって見ていましたが、登米編が終わりそうなころ、もっとこの二人の物語が見たい!と思って、十数年ぶりに二次小説的なものを書き、番組名のタグだけつけてpixivにアップしてみました。pixivのアカウントは持ってたのですが、ずっと前に書いた話をアーカイブ的に置いてただけだったので、放送中のドラマの二次創作を書いて人に見せるのは初めてのことでした。予想外に反応があることが嬉しくて、思いつくままに書いてはアップしました。このドラマを好きな人の話をもっと聞きたくて、Twitterのアカウントも作って他の書き手さんとも交流するようになって、ますますのめり込みました。
今思えば、ドラマそのものと二次創作の世界に没頭することで日々のストレスがかなり緩和されてたんだと思います。
『おかえりモネ』とそのファンダムから得たものが大きすぎて、本当に足を向けて寝られません…(涙)。本当にありがとうございます。
わたしの見た気仙沼
気仙沼には二泊滞在しました。家族旅行でもあるのでがっつりロケ地回りというわけにはいきませんでしたが、フェリーで大島の牡蠣棚を見たり、レンタカーで橋を渡って田中浜に行けたので大満足でした。

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三陸地方に行くのが初めてだったので、山と海の近さにも驚きました。わたしも海の町出身なのですが、海から山の距離は遠い土地でした。海と山が繋がっているという言葉は、ここに住んでいたら身に染みて実感できるだろうなぁと思いました。とくに大島は、車線の右は海、左は山、みたいな感じで驚きました。
山も海も近いだけあって、ご飯が本当に美味しいです! ヤマヨ食堂さんでいただいた牡蠣もびっくりするほど大きくて大満足。うちの地元も牡蠣農家は多いですが、あんなに大きな牡蠣は見たことないです。しかもみっちみちで濃厚。やっぱり栄養の多い豊かな海なんだろうなと思います。
シャークミュージアムやお土産屋さんが集まっている「海の市」という施設にある回転寿司ではフカヒレのお寿司も数種類食べられて、それも本当に美味しかったです。地酒の「男山」もスッキリな飲み口で好みでした。
そして気仙沼は、観光客フレンドリーな街だな、ということもあちらこちらで感じました。信号や横断歩道は少ないのですが道路を渡ろうと思ったら、こちらが待つことなく必ず車が止まってくれました。季節や天気にもよりますが、トレッキングやサップ、牡蠣小屋、魚市場見学など、半日アクティビティが充実してます。グルメはもちろん、温泉地でもあります。泉質もいい! 塩気の強いぬるっとした温泉は初めて入りましたが、肌の弱い私にも優しく癒されました。
最初は知らない土地で子連れなのに二泊三日は持て余すかな? と思ったのですがそんなことは全然なかったです。普通に観光地として楽しめるポイントの多い街でした。
そしてもちろん、震災についても学べます。『おかえりモネ』のBRT回を初めて見たとき、車窓から見える風景に更地が多いことに胸を突かれました。家屋ごと流されたり火災で消失したりして、瓦礫が撤去された後、まるで更地になったばかりのようなつるっとした土地が今もあちらこちらにありました。中心地に近いホテルの周りも商業施設や倉庫がぽつぽつとあるだけで、大半は更地のままでした。
気仙沼市震災遺構・伝承館となっている旧気仙沼向洋高校の屋上から見る周囲は今も何もありませんでした。海のすぐそばのその校舎の三階と四階の間まで津波は来たそうです。そんな高さの堤防は作れない以上、海のそばの平地に住むのはもう難しいだろうなと思いました。
ちなみに気仙沼向洋高校は海が近いことから防災教育に力を入れていて、東日本大震災の津波の時も全員避難できたそうです(すごい!)。
気仙沼の街自体が、またあのクラスの津波が来ることを想定して街づくりを、あの日の被害を後世に伝えるための努力ををしているんだなとあちらこちらで感じました。防災の観点からとても学ぶところの多い街だと思います。



また、豊かな恵みをもたらす海が脅威となってしまったこと、それでも気仙沼に住み続け、再興しようとする人たちの、地元への愛を強く感じました。
こんなにドラマにハマらなければ行こうとは思わなかったくらい東北に縁のない人間でしたが、本当に行ってよかったし、絶対また行きたいです!
キャストのみなさん、最高でした!
最後はキャストのみなさんが最高だったという話でまとめさせてください!
まずは、311という難しいテーマ直球の物語で、その中でも難しいモネと未知という役を任され全うした清原果耶ちゃんと蒔田彩珠ちゃんに大拍手です! 二人ともこのドラマを撮影していたのが19歳だったなんて信じられない…天才です!! この二人の天才女優が姉妹を演じたというだけでもこのドラマの価値があります。本当にありがとう!またいつか共演してほしいです。
菅波先生を演じた坂口健太郎さん。実は『おかえりモネ』まで私は坂口さんにピンと来てませんでした(良さに気付くのが遅いタイプです…)。でもトムさんのことでモネと口論になったあと、外に出て立ち止まったシーン、苛立ちと後悔とやるせなさの滲む演技を見たとき初めて、あっすごくいい! この人上手い! と思ったことを覚えてます。その後も果耶ちゃんの演技に合わせて調整されていたような、クレバーな役作りが印象に残ってます。このドラマを見たことで一番印象が変わったのが坂口さんでした
りょーちん演じた永瀬廉君も素敵でした。わたしは永瀬くんが演技をしているのを見たのが初めてだったのですが、言いたいことを飲み込んで父の世話をしながら幼馴染の前では笑って見せる、滲みの見える演技がとても切なくて好きでした。彼の演技、とにかく切なさが良いですよね…。これからもいろんな作品で出会えると思ってます。
浅野忠信さんの演じた新次さんも本作の肝でした。基本は映画俳優、最近は海外の作品も多い浅野さんが、朝ドラのこの新次さんの役を受けてくれたのは本当にすごいことだったなーとあらためて思います。及川家のエピソードはいつも泣いてました。
浅野さんのほか、朝岡役の西島さん、トムさん役の塚本監督など、国際的に活躍されてる映画人が出演されていたこともうれしかったです。
永浦家も、幼馴染たちも、登米の人たちも、東京組の人たちも、そして気仙沼の人たちも、本当にこのドラマに出てた人はみんな好きだし、これからもずっと好きだろうな〜と思います!
そして主題歌「なないろ」。20代の頃によく聴いていたBUMP OF CHICKENがこの大好きな朝ドラ主題歌の担当してくれたこと、本当にうれしかったです。生き方を模索して壁にぶつかってそれでも前を向く、真面目な若者たちの群像劇としての『おかえりモネ』の本質にとても近い歌詞だったと思います。
また劇伴を担当された高木正勝さんの、ちょっと面白くて柔らかくて優しい音楽も大好きになりました。サントラ、これからもずっと聴き続けると思います。
最後のご挨拶
ちゃんと語り尽くせたかな…? 何か大事なことを忘れてるのでは…? と不安に思いながらもそれではいつまで経っても本を出せないのでそろそろ終わります。とりとめのない長話を読んでくださった方、本当にありがとうございます。
『おかえりモネ』という作品はドラマとしては素晴らしい作品だったとしても、なかなかチャレンジングで、わかりやすさを要求される朝ドラにしては難しい作品だったのかな、とも思います。
でも、だからこそわたしはたくさん語りたいことがあったし、めちゃめちゃ世界が広がりました。
ファンフィクとはいえ久しぶりに創作の面白さに夢中になったし、朝ドラ見たあと午前中はずっとTwitterしてたのでは?というくらい情緒乱されてたし(笑)、何の縁もなかった気仙沼に旅行に行ったりもしました。
すごく現実の人生に影響を与えられたドラマだったなと思います。そんな作品や、それを好きな人たちと出会えて本当にうれしいです!
本当にありがとうございました!
これからも『おかえりモネ』の話しましょう〜!
