映画館で『フュリオサ』を観てきた。
ご多分にもれずわたしも『マッドマックス 怒りのデスロード』(以下MMFR)が大好きで、公開当時劇場で何度も見たし円盤も買ったし配信でもなんども見てる。なんだったらこの日記を書きながらまた見てる。
とらつばの感想のところでも書いたけど、この映画は、産む女、戦闘員、血液、として「個」を奪われた人間たちが「個」を奪い返すまでの物語で、それは人間としての当然すぎる希求。だからこそ感情移入しちゃうしアツい。行って帰ってくるシンプル王道な物語は、凄まじいスピードの派手派手アクションとコントラストの強い映像美に彩られ、死を覚悟してでも行動することを選んだ人間の切実さと幸福への希求を描き切る。何度見てもおもしろい。
だから当然『フュリオサ』も楽しみにしてた。そして実際、面白かった!アクションのスピード感もキレキレで映像美も健在で、2時間半あったのに飽きる間もない。ストーリーもMMFRの前日譚として完璧。家父長制からの解放という強い一大テーマに向かうMMFRのエピソードの複合性と比較すると、そのピースのひとつであるフュリオサ個人の復讐譚としての側面が強いのであくまで前日譚ではあるけれど。だけど見なきゃ損な前日譚。若いフュリオサを演じたアニャ・テイラー=ジョイさん、ほとんどセリフがないのにその眼力で演じきってて最高だった。
ただわたしはこの映画を見ながら、どうしても完全には没入できなかった。
現実にとめどない虐殺が起きている今、空調の効いた映画館の中で、支配と暴力の渦巻く映画を享受している自分はいい気なもんだなと、そんな思いがうっすらと心にあった。そんなのすべての時間がそうなんだけど、それでも人が簡単に踏み潰されるように殺されてしまう物語を見ると、どうしても現実を思い出す。戦争も虐殺も、物語の中の世界だけで起きてることではない。
映画館を出て外に出るとスコールのような大雨だった。映画館からバス停は近くて、すでに待機していたバスに飛び乗るとホッとため息が出た。
戦争が、支配欲が、ひとりひとりの語られない物語を踏み潰していく。語られないまま、記録されないまま、消えていく悲しみの総量はどれほどのものだろうと途方にくれる。
最高に面白い映画を見たのに興奮とはほど遠く、しんと冷めた心持ちのまま、バスに揺られて家に帰る。家族と夕飯の待つ家に。こんなにありふれた平凡な一日が、まるで特権のようだった。
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