第6週「ドコ、モ、ジゴク。」
いやほんとに、「毎日難儀なことばかり」だし「日に日に世界が悪くなる」だし「ドコ、モ、ジゴク」ですよ!!!の週でしたね……と同時に、この朝ドラめっちゃ好み〜〜〜😭と改めて惚れ込んだ週でもありました。

地獄の日々にも喜びはある。なんと!おサワちゃんが悲願の教師としてお勤めに出ることに〜👏👏👏
「おなごが生きていくには身を売るか男と一緒になるしかない」と言った遊女なみの言葉に「そげなことない」と反発したおサワちゃんが、貧しいながらも教師という職業を手に入れたこと、しかも明治の世に!もうこれだけで胸がいっぱいです😭(ちなみにおサワちゃん演じる円井わんさんはスレッズでけっこう撮影の裏話などしてくれてます)
ただサワが夢を掴めたのは、家族がサワを売らなかったから。手っ取り早く稼ぐには年頃の娘であるサワを遊郭に売るという手もあったのにそれをしなかった。それどころか学校にも通わせてくれた。松野家も同じです。トキを学校に通わせることはできませんでしたが、借金取りにトキが「遊女になって稼げ」と言われると家族が大激怒してくれる。
だからこそ、なみの悲哀が際立つ。家族のために売られ、しょぼい色街から一歩たりとも出ることは許されない。とらつばのよねさんとお姉さんのことも思い出します。
そんななみが必死で掴もうとする希望、それはラシャメン、〝異人〟の愛人でした。ヘブンが女中を探していると聞いて迷わず立候補します。洋妾は石を投げられるような差別をされると知ったうえでも縋らずにはいられない希望。それはそうですよね。不特定多数に体を売る生活よりも、妾であっても金持ちの〝異人〟のオンリーがなんぼかまし。少なくとも好色ではないヘブンの人となりと知っていることもなみの背中を押したでしょう。だけどなみの立候補はやんわりと断られてしまう。
農家の娘でなく武士の娘がいいというヘブンの真意はまだわかりませんが、結果として女中にリクルートされたのはトキでした。それをトキは「ばかにせんでごしなさい」「なしてわたしが」と腹を立ててきっぱりと断ります。ナミがなりたくてしょうがなかったものを。だけどやがてトキはその申し出を受けざるをえなくなります。
ラシャメンというたったひとつの希望も潰え遊女を続けるしかないなみ、望まれてラシャメンと蔑まれる覚悟を決めるトキ、そして教師の職を得たサワ。同じ町に住む、年頃も同じ三人の若い女性の人生の対比に胸が痛くなります。色街に住まざるを得ない貧しい人生の中にさえ、「生まれ」による格差があるという残酷さ。
思えばサワも遊女を「こげな仕事」と蔑むように言っていたし、錦織は色街に入ることさえも躊躇するような潔癖さを見せます。ヘブンの女中がなかなか見つからないことも根は同じです。この朝ドラを見ていると現代にも続く、セックスワークを選ばざるを得ない立場の人の苦しみとセックスワーカーへの差別、そして外国人と付き合う(結婚する)女性への偏見について考えさせられます。それだけ、弱者に寄り添う物語でもあると言えそうです。
トキが女中のリクルートを受け入れる背中を押したのは雨清水家のタエと三之丞の置かれた厳しい状況です。あの誇り高いタエ様の物乞い姿はあまりに衝撃でした。「働くくらいなら」と物乞いに立つタエと、人を使う仕事しか母に許されず職を見つけられない三之丞。このままだと凍死かそれとも餓死かと自嘲する三之丞と会ったあと、トキはタエが施しをくれた人に頭を下げる姿を見てしまいます。
歩きながらの呆然とした表情、夕餉ではいつものように笑いながら、モノローグなしでトキが覚悟を決めるヒリヒリとした緊張感がこちらに伝わってくるのが素晴らしかったです。銀次郎との別れのきっかけとなったあの牛乳ひげのシーンと同じように、大事なところで台詞やモノローグに頼らないこのドラマが好きだ〜と改めて思いました。
そして予告でもすでに…でしたが来週は落ち武者とラストサムライに思う存分暴れていただいて笑 来週も楽しみです!
●ばけばけな本(6冊目)
『戦争みたいな味がする』(著者:グレイス・M・チョー 訳者:石山 徳子)

ばけばけとは関係なく読んでいた本なのですが、セックスワークや外国人と結婚することについてリンクするところがあったので感想をメモとして残しておきます。
本書は、日本統治下に生まれ、朝鮮戦争に巻き込まれ家族を失い、「基地の女」として糊口をしのぎ、やがて父親のような年齢のアメリカ人と結婚し、白人しかいないような田舎町で孤独に、そして果敢にコリアンとしてサバイブし、やがて総合失調症を発症した一人の韓国人女性の人生を、娘として、そして社会学者としての著者が見つめ直した記録のような記憶のアルバムのような、唯一無二のエッセイです。
一人の人間の中にこれほど複雑なインターセクショナリティが存在することを丁寧に可視化し、と同時に、何にもカテゴライズすることのできない、世界でたった一つの母の人生への敬意に溢れていて、ほんとうに素晴らしかった。読めてよかったです。
わたしは本書を読みながら、著者の母のように生きざるを得なかった韓国や沖縄の女性たち、慰安婦と呼ばれた女性たち、『ばけばけ』のなみとトキのことを思い浮かべました。
単に生き残るためのセックスワークでさえ、さもなければ自分を見殺しにする権力構造に逆らう手段なのだ。生き残るというのは抵抗の行為である。しかし抵抗の行為を、帝国主義の秩序の枠内でおこなうことは、「みずからの選択によって娼婦になる」のとおなじではない。強制的な、あるいは自由な、というのは誤った二分法だ。
トキはラシャメンと蔑まれることを覚悟してヘブンの女中になることを決めたけど、ここまでばけばけを見てきた人ならトキの決断を、自分で選択したことだ、自己責任だと切り捨てる人はいないだろうと思います。彼女の肩にどれほど重いものが乗っているかよく知っているのだから。自分は親孝行のために真面目に遊女をやってきたと自負するようにいうなみが、誰よりもあの街から抜け出したがっていることだって知っている。
「強制」と「自由な選択」の間に人の数だけの苦悩がある。セックスワークを選ばざるを得なかった女性たち、外国人との恋愛や結婚に縋らざるを得なかった女性たちを安易にカテゴライズせず、個々の人生を見つめることの大事さについて、本書を読み、そして『ばけばけ』を見ながら考える日々です。
●ばけばけなおでかけ(1)
今週はなんと、アイルランド大使館に行ってきました!



「怪談ーラフカディオ・ハーンとの邂逅」展を見るためです。この展覧会のことはヘブン先生演じるトミー・バストウさんのインスタで知りました。アイルランドと日本のアーティストによる小泉八雲の『怪談』からインスパイアされた作品展です。
まず初めてのアイスランド大使館が建物としてめちゃめちゃ素敵でした。そもそも大使館なんて行ったことないので比較はできないんですが、木材がふんだんに使われていて和風モダンな空間です。
展覧会は時間ごとの予約制で、最初に挨拶や説明があるのですが、わたしの参加した回のスピーチを担当してくれたのが芸大に留学中のアイルランド人の学生で、そういうところもすごくアットホームでいいなぁと思いました。
展示された作品を見ながら、アイルランドと日本にはぬぐいきれない「暗さ」という共通項がある気がしました。同じ島国であることや自然信仰や語りの文化がベースにあることにもシンパシーを感じます。




展示作品についてはこちらで詳しく見ることができます↓
展示は11月20日まで、観覧料無料、完全予約制です。