去年はハリウッドから心が大きく離れた年だったなぁと思う。まず「バーベンハイマー」の件、鳴り物入りで公開された『バービー』が個人的にイマイチだったこと、さらにイスラエルへの支持。そのすべてにがっかりして、もういいかな、とハリウッド映画を映画館に観に行く回数が減ってしまった。そしてその締めくくりのような、今年のアカデミー賞だった。
アカデミー賞の場についてはもう何年も前から司会者の際どいジョークが批判されたり、いやいやジョークを批判するなんて無粋だ、みたいな擁護が出たり、その内輪ノリ自体がキツイなぁとは思っていた。
それでも、『ムーンライト』が『ラ・ラ・ランド』を押さえて作品賞を獲ったり、『パラサイト』が席巻した年もあったし、クロエ・ジャオが監督賞を、そして去年はミシェル・ヨーが主演女優賞を、アジア人女性として初めて主要な賞を獲るなど、胸熱なシーンもたくさんあった。
あのふるまいをした役者たちに差別心があるのかどうかはわからない。心の中は見えないのだから。ただそう見えた、というだけだし、それがすべて、とも言える。
それよりも、それを見たたくさんの在外邦人が傷付いていた。こんなことはめずらしくない、私たちアジア人は日常生活の中でたくさんの差別を受けている、そしてそれは現地生まれである家族にも理解してもらえないのだ、と。そんなたくさんの、ほんとうにたくさんのポストを読んで、ひどく胸が痛んだ。その告発のような日本語のポストを、差別してる側は読むことはないのだということのしんどさもあわせて。
わたしは「バーベンハイマー」のことをエミリー・ブラントとライアン・ゴズリングがジョークにしてたこともけっこうショックだった(誰かの書いた台本があってふたりが自発的に話したわけではないだろうことはわかってる)。この件で被爆国である日本から抗議があったことも、日本人や日系人もまたこのアカデミー賞を見ていることも、何も考えてないんだろうなと思った。
また『オッペンハイマー』は複数受賞してスピーチの機会も多かったのに、被爆地や被爆者への言葉は何もなかった。キリアンが「peace」という言葉を出してくれたのは良かったけど、たったそれだけに感謝してしまうのもどうかと思う。反戦や反核のような、人間としてあまりにふつうの要求でさえ口に出すのをためらうような、アカデミー賞の壇上はそんな政治的な場になってしまっていた。
ハリウッド、と一言で言ってももちろん一枚岩ではないし、昨日のアカデミー賞の場でも即時停戦を訴るバッジをつけている人たちもいた。国際長編映画賞を受賞した『関心領域』のジョナサン・グレイザー監督はガザで起きていることについて「人間性を奪い去る行為」とスピーチの中で指摘した。残念ながらガザに触れた受賞スピーチはこれだけだったけど。
なんかもうアカデミー賞はいいかな、と思う。でも一方で、見てるぞ、アジア系差別すんなよ、って言い続けないとずっと変わらないんだろうなと思う。だからこれからもアジア系の映画人が差別されているように見えたら、ちゃんと怒りたい。たぶんハリウッドではやっとアジア系の映画人の存在が目に入り始めたところだと思うので(比喩でなく本当にそうだしまだ見えてない人もいると思う)道程は長いと思うけど。
「傷つけられた人が直接戦わなきゃいけないわけじゃない」というドラマ『SHUT UP』の台詞を思い出す。非アジア圏に住むアジア人すべてのためにも、アジア系差別するなよーって日本の中からも随時、大きな声で叫んでいきたい。
それはそれとして、『オッペンハイマー』は劇場で見たいなって思ってます。