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地元と国会前の距離

hinata625141
·
公開:2026/8/21

今年の夏は涼しい。8月だというのにクーラーなしで寝られる夜もある。本格的に暑くなってからは10月くらいまでは息がつけないくらいの東京のハードな夏を何年も過ごしてきたのでなんだかびっくりしてしまうし、どうせ今年だけなんでしょ!と思ってもいる。一方ヨーロッパのほうでは熱波でたくさんの人が亡くなってるし山火事もひどい。そして一番涼しくあってほしい被災地の熊本は最高気温を更新し、千葉は災害級の大雨。そもそも地球環境が年々きびしくなっていってるのはもちろん人間のせいで、そんな人間は生きるのに必要ないAIに電気と水を大量に提供してますます温暖化を早めるつもりらしい。つらい。

8月19日の夜はしかし、暑かった。例年にない涼しさに体が甘やかされてるせいかもしれないけれど、日が落ちてもムッとする湿度があった。それでも6時半に外に出てみると空はすでに暗くて、もう夏が終わるんだなと思う。また季節が変わっていく。デモに行くようになってもう半年が過ぎた。

霞ヶ関駅から登る坂から見える国会議事堂

SNSの体感(というものがあるならば)今夜の参加者はそう多くない気がした。まだ学校は夏休みだし、お盆明けたばかりだし。わたしもまだ東京に戻ってきて数日しか経っておらず、日常に完全に戻ったとは言い切れない浮遊感があった。だけどひとりで地下鉄に乗り、霞ヶ関駅で降り、あの坂を上って国会議事堂に近づいていると、なぜか「戻ってきた」と感じていた。それはわたしがここしばらく地元にいたということも無関係ではないだろうと思う。

デモ会場を歩きながら聞いたスピーチで、お名前は失念したのだけど、政治の話を身近な人にするのは難しい、という話をされている方がいて、本当にそうだよな〜としみじみ実感を持って心の中で深く頷いた。

帰省のたびに会う友だちが何人かいる。わたしは今回帰省したら、デモに行っているという話をしようと思っていた。でも、できなかった。

友人の一人は彼女が住んでる町で選挙があったばかりなのでその話に触れることはできたけど、選挙にヒートアップする人は苦手、というようなことを言われたので政治の話はしたくないんだろうな〜と思った。別の友人はわたしが腕にしていたミサンガに気付いて「FREE...なに?」と聞いてきたので「FREE GAZA」と答えるとハハッと笑ってそのままトイレに行ってしまった。馬鹿にするニュアンスではなかったけど、彼女の世界に「ガザ」という言葉が身近でないんだろうなとすこし残念に思った。また他の友人とは何時間も差しで飲んだのに政治の話にはまったくならなかった。母はわたしが毎晩刺している刺繍を何度も「なに刺繍だっけ?」と聞いてくる。そのたびにわたしは「パレスチナ刺繍だよ」と答えた。

わたしたちはそもそも政治の話をしないのだ。これまでもずっとそうだった。だから今になって突然、デモの話なんて差し込む隙もない。「話は変わるけど最近デモ行ってるんだよね」くらいの唐突な差し込みをしないとデモの話なんてできなかったし、わたしはそれをしなかった。ひさしぶりに会う友人同士で面倒な話はしたくないという気持ちもやっぱりあった。

地方にいると、良くも悪くも政治との距離を感じる。中央の政治が遠いのだ。物理的にも精神的にも。どうしても自分ごとに捉えにくい。どうしてだろう。政治の舵取りが間違っているせいで不利益や権利の侵害を受けるのは都市部も地方も同じなのに。

だけどわたし自身も地元にいる時間が長くなればなるほど、SNSからも少し離れがちになり、「政治を遠くに感じる」ことを実感した。デモに行ってるなんてちょっとおかしいんじゃないか。そういえばあの子は思い込みが強いところがあった。そんなふうに自分を評する声がどこからか聞こえる気がした。

そもそもうちの地元は保守的な地域で、県単位で見れば県庁所在地ではデモは何度か行われているようだけど、地元ではこれまで一度も開催されてないはず。そもそもSNSを積極的にやっていなければ、都市部でデモが行われていることさえ目にすることもないだろうなと思う。

地方の壁はあまりに分厚い。透明な、だけど分厚い壁。

ブルスカの相互さんで、熊本でパレスチナのためにスタンディングをずっと続けてらっしゃる方がいる。本当に勇気のいることだと思う。もし自分が何らかの理由で地元に戻らなくちゃいけなくなったとして、一人ででも立てるだろうか。あんな保守的な町で。想像するだけでもちょっと怖い。

そんなわけで個人的に惨敗な感のあった今回の帰省であったけど、ひとつだけ良いことがあった。地元に二年くらい前にオープンした個人書店に初めて行けたこと、そこで反戦ZINEを買えたことだ。比喩ではなく「反戦」の文字を見たのが地元で初めてだった。わたしはインスタで知ったその書店を地元の友人は誰も知らず、いったいどうやって経営が成り立っているのか謎だけど、ほんとうに素敵な書店だったので長く続いてほしいなと思う。

地元の本屋、店内の様子
反戦ZINEとパレスチナ刺繍

国会前デモの現場に来て「帰ってきた」と思えるのは、ここでは政治的な話もできるという自由を感じるからだと思う。今回は一人で行って一人で帰ってきたので誰とも話してないのだけど、それでもここでなら話せると思うだけで息がしやすい。一市民のスピーチとコール、無数のプラカードと夜空に翻す旗、カラフルなペンライトの光がつなぐ連帯の意思。わたしにとっては国会前が一番の精神的セイフスペースだ。

対岸から見たリズム隊あたりの様子

だからこそ地方各地でデモが増えていることは希望だと思う。デモ会場は、過激な人たちが集まる場ではなく、わたしたちが自由に政治の話ができる場だ。政治の話、本当はどこでだって誰が相手だってできるはずなのに、いつの間にか「しないほうがいい」と感じさせられてる。それはやっぱりおかしいことだし、政治の話をしないことが結果として自浄作用のない政権をだらだらと続かせている。

今回のデモの場で一番目を引いたのが2つに割れた日の丸にも見える旗だった。穴あきフラッグもそうだけど、国旗損壊罪なんて憲法で保障されている表現の自由に真っ向から抗うような法律が成立したことによって、国旗とは何かと問いかけるようなクリエイションが次々と生まれていく。

日の丸を2枚に分けたことでパックリ割れたように見える旗

言論だけではない、権力に対するすべての表現の自由が国会前では許される。その自由を守りたいと思っている人が集まっているから。

だからわたしは、こっちも暇じゃないんだけど、今日も疲れてるんだけど、そう心の中でぶつぶつと言いながらも国会前デモに足を向ける。ここは言いたいことを言える場所だから。そんな場では大きく息が吸えるから。こんな場所がひとつひとつ増えていくといい。

今夜のデモは途中参加だったからなんだか少し消化不良なかんじがして、ステージ終了後もまだ元気にドコドコ鳴らしながらコールしてた後方リズム隊に鈴を鳴らして参加した。路上で楽器を鳴らすだけでもシンプルに楽しい。もっといろんなことを、やりたいことをやっていいんじゃないかな。そんなことを思う。

今回の帰省で初めて行ったあの書店も、わたしにとっては安心できる、息のしやすい場だった。そんな場所を地元で見つけられたことがうれしい。次に行くときは反戦パッチでも鞄に付けていこうかと、すでに今から次の訪問を楽しみにしてる。

@hinata625141
感想文置き場。たまに日記。