『虎に翼』が終わってしまった。朝起きたときに、続きが見られる、と気分浮き立つ朝ドラに出会えることは実は稀有だ。だからシンプルに寂しい。
そして毎週末に『虎に翼』の感想文を書く日々も終わってしまった。そんなもの自分のさじ加減ひとつなのに、書き出すとどうしても長くなって、貴重な週末にけっこうな時間を取られていた。別に誰と約束したわけでもないのに、あぁ…書かなきゃ…と気が重くなったりしたのも一度や二度ではないけれど、それでも書きたいことはたくさんあった。
こんなふうに、受け手側としてなにか呼応したくなる物語というのは『虎に翼』に限らず、ある。それは作り手や書き手に何らかの覚悟を感じる作品。たとえ一部の人に嫌われたり批判されたり怒られるとしても、これを伝えたいのだ、という強いパッションを感じる作品が好きだ。作品の完成度よりも(それも大事だけど)、何を語りたいのか、伝えたいのか、その思いの強さに心惹かれてしまう。そういう作品には呼応したくなる。
初回のアバン、主人公の寅子が泣きながら読む新聞に書かれた新憲法。その第14条がナレーションの尾野真千子さんの声でゆっくりと読み上げられる。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
寅子がどんな思いでこの憲法を読んだのかはこのときはまだわからない。それでもこの憲法、ドラマオリジナルでもなんでもない、わたしたちが手にしている、身近なはずの憲法が読み上げられただけで、なぜこんなに胸が熱くなってしまったのか。法の下に平等、とはなにか。差別されない、とはなにか。わかっているはずなのに、そんな言葉がひどく遠く感じられるような現実を、わたしたちは生きてないだろうか。
人権と差別の話をするよ、とそっと肩に手を置かれた気がした。
そしてこの物語は特定のモデルを主人公としたフィクションでありながら、2024年を生きるわたしたちにとって無関係とはいえない物語になる。憲法という共通項を通して。法は何を守っているのか。そもそも法はなんのためにあるのか。そんなことまで考えさせられることになるとまでは、さすがに放送開始のころは思いもしなかったけれど。
●『虎に翼』が描く「共通の記憶」
物語が自分たちと無関係とは思えない理由のひとつに、フェミニズム的テーマが主人公の個人の物語に回収されなかったことがあると思う。このドラマで描かれる女性差別には既視感があった。女が大学に行くことに難色を示されること、家庭内ケアワークの負担が重いこと、さらにそれが軽視されること、職場では花束を渡す役目を押し付けられること、女性銀行員が正月にはなぜか振り袖を着させられていたこと、男児を産むことを期待されること。自身の経験ではなくても、見聞きしたり、母世代や祖母世代から聞くことも重ね合わせれば、それは現代を生きる私たち女性の「共通の記憶」とも呼べるものだった。
「共通の記憶」は物語と私たちを強く結びつける。そして物語を他人事にはさせない。
2018年に日本でも翻訳出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』のことを思い出す。韓国の平凡なキム・ジヨンという女性の半生をふりかえる記録から浮かび上がるのは、ただ生きているだけで女性が受ける差別の数々。就労格差や賃金格差、性犯罪に巻き込まれる危険性、「母」になることのプレッシャーと「母」に向けられる嘲り。ひとつひとつは小さなものかもしれないそれらの差別が蓄積され、どれだけ多くの女性の人生と心を削ってきたかが可視化された本書は韓国のみならず、家父長制の強い国に生きる女性たちの「共通の記憶」を呼び起こして大きなブームを引き起こした。もちろん日本でも。
『虎に翼』が「共通の記憶」を通して呼び覚ますものは女性差別だけじゃない。そのひとつが民族差別だった。普段は良い人がぽろっとこぼす外国人差別発言にひやっとした経験がある人は多いと思う。SNSではもっと苛烈な差別発言がうんざりするほど見られる。歴史や構造を無視し、目の前の状況だけを見て、マジョリティである自分のほうが被害者であるという感情が先に立ってしまう。ヒャンちゃんの家族問題や新潟編で描かれた民族差別は目の前の現実と繋がっていた。
目の前の現実と繋がってるといえば、婚姻の平等、そして選択制夫婦別姓の問題も『虎に翼』では触れられた。同性婚についてはまさに今年(2024年)、高裁では初めて札幌高裁で、続けて東京高裁でも違憲判決が出された。そして夫婦別姓については過去に二度、最高裁で合憲判決が出ているが、こちらも今年三度目の提訴が行われている。壁はあまりにも高く、いつになったらと絶望したくもなるのだけど、一度は合憲判決も出た尊属殺重罰規定が時代を経て違憲判決が出された、その史実が『虎に翼』で描かれたことは心強い。また、ちょうど尊属殺に合憲判決が出た話が描かれた放送日(7/3)の午後、旧優生保護法に最高裁で違憲判決が出たことも強く記憶に残ってる。「人が幸せになるためにある」とタッキーが言った「法」、その「法」によって人が傷つけられていたことが認められた。こちらもあまりに遅すぎた判決だったけど、心からよかったと心から思う。なにより、
おかしいと声を上げた人の声はけして消えない。その声がいつか誰かの力になる日がきっと来る。
その日の朝聞いたばかりの寅子のセリフが、まさに目の前で現実になったことにはグッと来るものがあった。
●社会の変化を見つめる女性を描くこと
わたしは韓国映画が好きでわりとよく見てる方だと思うのだけど、近現代を舞台にした歴史フィクションの良作が多くてうらやましく思っていた。日本の歴史モノといえば、大河ドラマお得意の戦国時代や幕末は激動の時代だから面白いのかもしれないけれど、あまりに遠すぎて国の歴史としての実感が薄く、一方の朝ドラは戦争時代を挟む近現代を舞台にしたものも多いけれど、あくまで主人公の個人の物語に終始しがちなので政治や社会の話に繋がりづらい。それ以外の映画や単発ドラマでは、戦争をテーマとした作品はそれなりにあってもやっぱり個人の話に収束しがちで、政治や社会を市民目線で描いた作品をあまり見ない気がする。
そんななか、2019年に放送された大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』はわたしの待ち望んでいたものにとても近かった。オリンピックという国際大会を通じてどうしても国家と政治に巻き込まれていく人々の視線から描かれるロングスパンの近代史は見ごたえがあった。男性キャラクターばかりの大河ではあったけれど、初めてスポーツを知った女学生たちや、日本女性初のオリンピックメダリストとなった人見絹枝のエピソードなど、性差別も含め当時の女性たちにスポットが当たっていたのはよかった。
そもそも国の意思決定の場から女性が排除された歴史が長い以上、国の歴史を物語るときにどうしても男性キャラクターばかりになりがちというのは避けられないことではある(それは韓国映画もそう)。
だけど『虎に翼』は職業柄、政治や社会と無縁ではいられない裁判官を主人公としたことで、女性主人公の個人の物語をベースにしながらも、同時に彼女が生きた時代の政治や社会を見渡せる朝ドラとなったのは画期的なことだったなと思う。学生運動や公害訴訟運動など、当時のニュース映像を見せるジャーナリスティックなつくりもリアリティがあってよかった。
一方、2022年には同じNHKで『風よあらしよ』という、大正期のフェミニストである伊藤野枝を主人公としたドラマもあった。寅子たちの時代からは少し遡るのだけど、女性労働者目線で当時の政治や社会を厳しく見つめた作品で、こちらもとても見応えがあった。
『虎に翼』や『風よあらしよ』を見ていると、女性の権利が制限されていた時代にもこんなにものを言う女たちがいたのだと勇気づけられる。歴史をフィクションで描く意義というのはこういうところにあると思う。表舞台に立たなくても、社会を見つめ、言葉を残してきた女性たちは確実にいる。まだまだ描きたりないジャンルだと思うのでNHKには引き続き期待したい。
●『虎に翼』に至る道
『虎に翼』はこれまで日本のドラマで触れられてなかった問題をたくさん描いて注目を浴びたけど、『虎に翼』だけが特別だったわけではない、ということもあらためて思った。これまで見てきた、好きなドラマのことをたくさん思い出した。
さかのぼれば初週の感想で触れた、2016年放送の『逃げるは恥だが役に立つ』は長く続いた日本のバックラッシュにひとつのピリオドを打った作品だったのかもしれない。女性からも男性からも人気のある新垣結衣さん主演のプライムタイムドラマで、無償の家事労働を「好きの搾取」、女性の価値は若さだという世間の見方を「呪い」と呼んでみせた。ふたりのじれったい恋模様がこのドラマの人気の原動力だったけど、そんなポップなドラマの中で「フェミニズム」的なことが語られたことも当時は画期的だった。空気が変わった気がした。
吉田恵里香さんが大好きだという(もちろん私も大好き!)『マッドマックス 怒りのデスロード』の公開はその前年の2015年。まさに「子を産む機械」であった女たちが反旗を翻し主体性を奪い返すこの物語がフェミニズム映画であるかどうか、(明らかにフェミニズムであるにも関わらず)SNS上で意見が対立していた記憶がある。日本では同年、パワハラ・セクハラに女性たちが連帯して挑む、坂元裕二さん脚本の『問題のあるレストラン』が放送された。
ハーヴェイ・ワインスタインへの告発記事から端を発した#MeToo運動がが世界に波及したのが『逃げ恥』の翌年、2017年だ。世界で一番リベラルでなんでも手に入れられそうだと思っていたハリウッドの女優たち、そんな彼女たちでさえ、今までずっと言えなかったのだという事実は個人的にもショックを受けた。日本では伊藤詩織さんが著名ジャーナリストから性暴力の被害にあったこと、その加害者が逮捕されなかったことを会見で公表し、大きな注目を集めたのもこの年だった。
翌2018年、医学部入試の女性差別が明らかになったこの年には野木亜紀子さん脚本のドラマが二本あった。法医解剖医たちのドラマ『アンナチュラル』ではその終盤でフェミサイドが、『獣になれない私たち』では「かわいくて従順で仕事のできる女」を求められることに限界まで疲弊したヒロインが描かれた。またNHKでは安達奈緒子さん脚本『透明なゆりかご』という産婦人科を舞台とした物語で、望まない妊娠や中絶、性暴力に正面から丁寧に向き合った。レズビアンのトランス女性を主人公にした『女子的生活』が放送されたのもこの年だ。ジェンダーロールに軽快に突っ込みつつもトランス女性の生きづらさにも寄り添い、また、主人公みきと押しかけ同居人である後藤の友情も胸熱だった。
悪質な性犯罪への無罪判決が次々と出てSNSでも批判が高まり、フラワーデモが始まったのが2019年。WOWOW放送なのであまり話題にはならなかったけど柴咲コウさん主演の『坂の途中の家』は虐待死裁判を通して女性の生きづらさ、母という呪縛、夫婦間の絶望的な不平等が描かれたすばらしいフェミニズムドラマだった。同業者の夫とすれ違っても自分の作陶に突き進んだヒロインの朝ドラ『スカーレット』もこの年だった。夫が一人息子を連れて出ていったあと、母親という呪縛から解かれ「ひとりもええなぁ」と呟くように言った、この台詞が今も忘れられない。
2020年、新型コロナの時代の幕開け。野木亜紀子さん脚本の『MIU404』は男性バディの刑事モノだが、見知らぬ国の貧しい少女たちに夢を繋いだ第4話「ミリオンダラー・ガール」、桔梗とハムちゃんの熱い関係性など、女性たちのエピソードが随所でギラリと光るドラマだった。また吉田恵里香さん脚本のBLドラマ『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』がブームとなった。原作漫画では腐女子だった藤崎さんというキャラクターをアセクシャルとして描いたのは吉田さんのアイディアだという。フェミニズム&友情映画の傑作『あのこは貴族』が公開されたのも同年だった。
コロナの影響で延期されていた東京オリンピックが開催された2021年、都内に住む私は多大なストレスを受けながら朝ドラ『おかえりモネ』に夢中だった。東日本大震災がテーマで胸打たれることが多いドラマだったが、安達奈緒子さん脚本とあって女性たちの連帯も随所で見られた。また女性たちの日常的なモヤモヤを編集部の女性バディが解きほぐしていく『半径5メートル』も素敵なドラマだった。トランス女性の同僚かおりが高校生の娘との関係に悩むエピソードが印象に残ってる。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年、渡辺あやさん脚本で冤罪事件をテーマにした『エルピス—希望、あるいは災い—』が放送された。現実に起きた冤罪事件がモデルとあって注目されたが、テレビ業界におけるセクハラ・パワハラが描かれたのも印象的。また同年、吉田恵里香さん脚本でアセクシャルな男女二人が同居する『恋せぬふたり』も放送された。NHKの夜ドラではコロナ禍で懸命に生きるシングルマザーの物語『あなたのブツが、ここに』や、料理を通して仲良くなったお隣さんと恋が芽生えるレズビアンドラマ『作りたい女と食べたい女』もとてもよかった。
そして2023年。ウクライナ侵攻が止まらないままイスラエルによるガザ侵攻も始まってますます世界は混沌とし、SNSを開けば信じられないような映像ばかり流れてくるのが日常となった。一方、日本のドラマは豊作の一年だった。まさかのタイムリープものであり最高の友情ドラマでもあった『ブラッシュアップライフ』、ジェンダーロールやロマンチックラブイデオロギーへのもやもやを語り合う女二人の共棲み生活『今夜すきやきだよ』、世代もジャンルも違う女たちが背中を押し合う『セクシー田中さん』、沖縄の米兵によるレイプ事件にミックスルーツの女たちが挑む『フェンス』、血筋を守る家制度の地獄の中でいくつも生まれたシスターフッドに泣いた男女逆転『大奥』。また吉田恵里香さん脚本の単発ドラマ『生理のおじさんとその娘』ではタイトル通り生理がテーマであり、かつ女子高生たちのかわいいレズビアンドラマでもあった。
そして2024年、『虎に翼』が始まる。
●響き合うドラマたち
『虎に翼』の放送一ヶ月前からテレ東深夜で始まった『SHUT UP』は現代の女子学生たちを主人公としたドラマだが、様々な問題において『虎に翼』と響き合っていた。たとえば生理問題。『SHUT UP』では同じ寮に住む女子学生たちはみんな苦学生なので生理用品や鎮痛剤を譲り合うギリギリの生活を営んでいることが痛切に描かれる。また同作のヒロイン由希は友人の中絶費用のため、お金と引き換えに男に体を委ねる。かつてのよねのように。また貧富の差で線を引かず、境遇の違う人間同士も手を取り合うことができると描いたことも2つの作品に共通する。
寅子は航一との結婚で改姓に悩み、最終的には事実婚を選んだ。この、夫婦がどちらかのひとつの姓を選ばなければならない問題は悲しいかな、今この2024年も健在だ。2023年に放送された前述の『今夜すきやきだよ』でも主人公の一人であるあいこが結婚を控え、この問題にぶち当たる。当たり前のように女性側が変えるものでしょという空気と、やっぱり苗字は変えたくないという本音。『すきやき〜』のふたりはたくさん話し合って納得し法律婚にいたるのだけど、なぜこんなことが結婚のハードルとなってしまうのかと、あらためて考えさせられる。
轟という重要な、かつ視聴者から愛されたキャラクターを通じて『虎に翼』ではセクシャルマイノリティ問題が描かれた。同姓婚ができないという社会における公然とした差別は、こちらもまた残念なことに2024年も健在だ。『虎に翼』とほぼ同時期にスタートした深夜ドラマ『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか』では同性愛への差別が描かれた。日本のドラマではBLはもちろん、BLではない作品でもセクシャルマイノリティのキャラクターが登場することはかなり増えたように思うのだけど、セクシャルマイノリティへの「差別」が描かれる作品はまだ少ないように思う。『おっパン』は「かわいいもの」が大好きでオシャレしてる男の子や同性愛カップルに向けられる、他者からのからかいや嘲りの視線がリアルに描かれて胸が痛んだ。セクシャルマイノリティである彼らに寄り添いたいと、強く思わせてくれるドラマだった。
こうして振り返ってみると、フェミニズムや多様性、生きづらさをテーマとしたドラマはこの10年近くで確実に増えてきていて、そのうえで開かれたのが『虎に翼』という扉だったのだなと思う。まさに「雨垂れ石を穿つ」だ。もちろん『虎に翼』が新しく開いた扉の数はたくさんある。だからこれからまた、同様のテーマの作品がぐっと増えるんじゃないかな〜とドラマ好きとしては期待してる。
●『虎に翼』が教えてくれた憲法のこと
こうして女性の生きづらさやセクシャルマイノリティに寄り添うドラマは近年ぐっと増えてきた。だけどそんな生きづらさと密接な関係があるものとして「法」を描いたのは『虎に翼』が初めてだったんじゃないかなと思う。少なくともわたしが見てきたなかでは初めてだった。
これまで見てきたフィクションでは戦前の女性たちは子どものころから一日中家の手伝いをさせられていてなんか大変そうだな、くらいの解像度だったのが、『虎に翼』を見たことによって彼女たちは家庭の事情だけでなく、まず法的に経済の自由がなかったことを知った。物語の目を通してみる大日本帝国憲法は、国民を隷属的な立場に置き、さらに家庭では家長と長男に多大な権力を与える家父長制のシステムを強固とし、福祉もへったくれもなく、女子供や貧乏な家庭は社会の外に置き去りにした。そんな憲法がこの国に存在した。そんな時代にはぜったいに戻りたくないとつくづく思った。
終戦後に交付された新憲法は平和と平等をうたう、先進的ですばらしいものだった。それによって大きくはばたけた人もいた。たとえば女性であることのみがネックだった寅子のように。だけどそんなダイナミックな法の変化に現実の社会はなかなか追いつけない。そしてもちろん、憲法は万病に効く薬じゃない。新憲法の理念がいかにすばらしくても、時代の解釈と多数決によって現実の判断はその理念を裏切ることもあったし、今もあることを知った。それでも、すべての生きづらさを抱えた人にとって憲法は最後の砦だということも。
普段の生活で憲法なんて意識することもないし、憲法改正にはもちろん反対の立場だけど、今私たちが手にしている憲法が不完全ながらもどれだけ大事なものか、あらためて『虎に翼』に教えてもらった気がしている。
●作り手の善性を信じられる物語
アメリカでは1973年に連邦最高裁判所によって「中絶に関しては女性が自分で決める権利がある」という判決が下された(「ロー対ウェイド」裁判)が、2022年にその判決は覆され、中絶問題は各州に委ねられることになった。その結果、中絶が違法となった州では州外にまで行かないと中絶が受けられないなど、女性にとって安全な中絶へのアクセスが遠のきつつある。
時代は簡単に巻き戻る。手にしていたはずの自由も気づけばあっさりと奪われている。
だからこそ、一人ひとりを大事にする、他者の生きづらさに寄り添う、そんなフィクションを見たり読んだりしたい。ひどい現実に対抗しうるものは、誰かの善性であり、その集合体である社会の善性であり、それが存在していると信じること。誰かが頭の中でつくったものだとしても、物語は現実の社会や歴史と無関係ではいられないから、そのなかにうつる善性を私はずっと信じていたいのかもしれない。
『虎に翼』はなによりも作り手の善性を信じられる物語だった。セクシャルマイノリティだけでなくエスニックマイノリティ、ミックスルーツ、被爆者など、脚本は「透明化された人々」と彼らに向けられる差別を描くだけではなく、彼らの側に立ち続けた。中立ではなく、明確に弱者側に立ち続けた。そして、不公平に立ち向かう人たちを賞賛をもって描いた。ただすれ違う人にもそれぞれ抱えた人生があることを想像させてくれた。テーマは重く、見ていてつらくなるエピソードもあったけれど、その根底には立場の弱い人たちを守りたいという善性があることを信じられた。だからこの物語が好きだったのだと思う。
そしてこの物語でも描かれた「個」が奪われるような理不尽な状況が今も世界のどこかで現在進行形であることに恐れず、なぜ、と憤っていたい。
「おかしいと声を上げた人の声はけして消えない。その声がいつか誰かの力になる日がきっと来る。」
声を上げるべきときは上げていこうと、勇気をもらえるドラマだった。寅ちゃんと、吉田恵里香さんと、そして『虎に翼』をつくったすべてのみなさんたちに感謝します。半年間、本当にありがとうございました!