選挙の日、戦争の日々とあの夏の星を見る

hinata625141
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公開:2025/7/26

衆院選当日。朝からまーーーあっつい。こんな状況下でもし投票率が前回を下回るならこの暑さのせいでは?と思うほどだ。投票所でアイスを配るとかのサービスを各自治体でやってくれてもいいよね。わたしはというと当日はバタバタする予感があったので前日に期日前投票済み。予定通り一番暑い時間帯に娘の美容院のため自転車を走らせ、帰宅のちシャワーしてしばらくぼんやりしてから今度は一人でお出かけ。外はまだまだあっつい。

竹橋駅出たところ 夏の青空

目的は国立近代美術館の「記録をひらく 記憶をつむぐ」

この企画展のことはまったく知らなかったのだけど、「大東亜戦皇国婦女皆働之図」の「春夏の部」と「秋冬の部」を並んで見られるというのをXで知って、行かなきゃ!と慌てて予定をねじ込んだ。「春夏の部」は普段は福岡の筥崎神社に、「秋冬の部」は靖国神社に奉納されているので、並んで見られることはかなりめずらしいと思う(もしかして戦後は初めて?)。

「大東亜戦皇国婦女皆働之図」の「春夏の部」と「秋冬の部」

「大東亜戦皇国婦女皆働之図」は戦時中、洋画家・長谷川陽子を中心に結成された女流美術家奉公隊が、陸軍の依頼によって作成した、銃後の女性たちの活躍をコラージュした大作だ。

わたしがこの作品に興味を持つきっかけとなったのはNHKで2023年に放送されたドキュメンタリー「春子と節子」だった。

長谷川春子と三岸節子。女性画家の居場所などないに等しい近代の日本アート界において一時期は親友のように互いを支え合った2人が、「戦争協力」という踏み絵によって袂を分つことになってしまう。

プロパガンダに耐えられなかった節子が奉公隊を離れたのち、春子が中心となって制作されたのがこの「大東亜戦皇国婦女皆働之図」だ。戦争でいなくなった男性の代わりに社会に出て働く銃後の女性たちの様々な姿が、複数の女性画家たちによって共同で描かれる。

そのドキュメンタリーでこの絵を初めて見たとき、わたしはシンプルに胸を打たれた。だってそれは戦争プロパガンダ目的に依頼された絵のはずなのに、そこに描かれたのは家庭に押し込められてきた女性たちが社会の中心に踊りだす、理想の世界のように見えたから。そしてそれを描いたのが、戦前はほとんど一人前扱いされなかった女性の洋画家たちであったという、そのダブルの意味でぐっとくる文脈のある作品だった。

春夏の部
秋冬の部
秋冬の部から一部を拡大。郵便配達する女性たち。

(↑郵便配達をする女性たち。今期の朝ドラでもヒロインの妹が戦時中だけそれまでは男の仕事だった郵便配達の仕事をし、戦後はまたその仕事を取り上げられるというエピソードがあった)

終戦後、戦争協力の罪で春子は画壇を追放され、一方の節子は新たな女流画家団体などを設立し活躍するも恋愛スキャンダルにもみまわれて日本を離れ、渡仏してその画家人生を全うした。

もちろん節子のようにプロパガンダに協力しないという姿勢を貫くのはすごいことだと思う。だけど戦時ではなく表現の自由がある現代の日本でだって、社会の空気に抗うというのはすごく勇気のいることだ。自分たちより著名な男性画家たちがどんどん協力しているのに……という上からのプレッシャーもあっただろうし、それまで一人前の画家として見てもらえなかった彼女たちが国からの依頼を受けることにまず自負も生まれただろうし、絵の具や油の配給を受けられる実利もあった。とても責められないと思う。

同ドキュメンタリーで、春子作画の女性兵士の絵も見たのだけど、そこに描かれたのは顔が何重にも塗り重ねられ表情も感情もよくわからない女性の姿だった。プロパガンダとして意気揚々とした表情を描くべきだったけどそうはできなかった迷いが、絵具の重なりに見えるようだった。

そんな画家としての惑いは、本展の、主に男性作家による作品からも強く感じられた。当時はまだ男性であろうと洋画自体が社会からの距離があり、権威のなさゆえに利用された一面もあるのだという。

藤田嗣治「神兵の救出至る」
伊谷賢蔵「楽土建設」
向井潤吉「四月九日の記録 (バタアン半島総攻撃)」
猪熊弦一郎「長江埠の子供達」
鶴田吾郎「神兵パレンバンに降下す」
藤田嗣治「サイパン島同胞臣節を全うす」

当時は戦場や植民地を描くだけでも世間の人気や軍や警察の覚えは悪くなかったのかもしれない。だけど実際に戦場や植民地を自分の目で見た画家たちが何を感じたのか、作品には当たり前に真実が描かれているように思った。植民地の人々は怯えて目を逸らし、もしくは冷たい目でこちらを見つめ、最前線の兵士達は悲惨な日常を生きる。戦争は何も美しくない、という真実が。

本展に展示されてる作品は、現代から見ればとても、戦争賛美や戦意高揚につながる作品だとは思えない。むしろ現実をあますことなく描くことで現実に抗っているようにも見える。この展示の目的は、戦争協力の名のもとでプロパガンダに利用されたとされる作品たちの再評価なのかもしれないなと思う。

何を思いながら描いてたんだろうなと当時の作家たちの本音が聞きたかったような、でもその答えはすべて作品から読み取れるような気がする一方、勝手に何かを読み取って納得してしまうのは当時これらの作品を当たり前のように現実肯定に読み取っていた人々と同じだよなと自戒し、作品をただ見つめ、やっぱり何を思いながら描いてたんだろうなと思いを馳せてしまう。

また戦後に制作された「原爆の図」やベトナム戦争反対運動のアートなどがあったのもよかった。アートは戦争に利用されることもある。だけど戦争に抗うこともできるのだと、そう感じさせてくれる展覧会だった。当初の目的は「大東亜戦皇国婦女皆働之図」を見ることだったけど、どの作品も見応えがあって、本当に行ってよかった。

丸木位里・俊  「原爆の図 第2部火(再制作版)」
丸木位里・赤松俊子「ピカドン」
ワシントンポスト紙に掲載された岡本太郎による「殺すな」という文字が大きくレイアウトされたベ平連の意見広告

そんなこんなで閉館時間ギリギリまで企画展にいたせいで常設の展示とミニ企画を見られなかったのが残念…! 9/9から後期で展示替えがあるそうなのでまた行きたいな。


さてそこから映画『この夏の星を見る』を見るため、日比谷に移動。評判がいいのに上映館も上映回数も少ない!わたしが見た回も満席だった。

舞台はコロナ禍の2020年。学校がやっと再開されても部活動はさまざまな制限を受け、こどもたちの日々はは閉塞感に満ちている。そんななか、茨城の高校の天文部が企画したオンラインスターキャッチ大会をことを知った、東京の中学生、そして長崎の五島の高校生が参加を表明する。離れた土地でそれぞれにままならない日常を生きる中高生たち同じ夜空を見上げる物語。

コロナの時期って自分自身はまだ幼かった子どもたちのケアで日々疲れてたし気を張ってたし、やっぱりストレスが多くてつらかった。そしてそういうテンパってる時期のことって忘却しちゃうんですね。この映画はかなり当時をリアルに描いていて、ほぼ全編全員がマスクしてるし(布マスクの子がいるのもリアル)、他府県からの人の流入に敏感(というか嫌悪)だったり、人と人が寄ったら密だダメだと言われたり、あの頃の見えないウイルスとの戦い、何が本当なのかよくわからない情報に右往左往していたあの感覚をまざまざと思い出した。

今思えば、学校や部活など家族以外の人間と人間関係を築いていく時期に、人と会うこと自体に制限をかけられた中高生たちはつらかっただろうなと思う。でも一方で、それでもなにかしたい!という思いに突き上げられ行動できるのが若さだな〜と羨ましくも思う。ひとりひとりに、がんばれ!とエールを送りながらスクリーンを見つめ、そして若者たちを見守る先生たちの、大人たちの祈るような思いに共感して泣いた。

映像(とくに五島の映像はすべてが最高!)も音楽も役者さんたちもほんとにみんな良くて、この夏一番の収穫と呼びたい一作でした。原作も読みたいな。


帰りたくないなぁ…選挙結果見たくないなぁ…知ってるよわたしがそうなってほしい現実はそこにない…と引き伸ばすようにベトナム料理屋で一人晩ごはんを決め、家に帰ってからもまずのんびりと風呂に入り、それからやっと意を決してみた選挙結果………ほら見たことか!!!!!(激怒)

まあでも自分的には色々考えたうえで一番納得のいく投票ができたし、選挙は終わっても日々は続くし、ガザは今だって空爆されてるし、コロナも収束してないし、トランプは今日も世界にとっての厄災で、だけど吉良よし子さんは選挙区で当選したし、そんな混沌オブ混沌な世界をわたしなりにがんばって生きるしかない。

戦争反対、差別反対、と口ずさみながら。

@hinata625141
感想文置き場。たまに日記。