お店のラーメンが食べたい。
わたしにしてはめずらしくそう思ったのは、先日の日記でも触れた柚木麻子さんの短編「めんや 評論家おことわり」を読んだせいだ。
ラーメンそのものは大好きで家の昼ごはんではよく食べてるけど、外食で自発的にラーメン屋を選ぶことがあまりない。
①そもそも並んだりしたくない ②味が濃すぎるorこってりしすぎてると感じる場合が多くて食後に後悔してしまったことが何度かある ③食べたら即店から出なきゃいけないせかせかした空気が苦手。ゆっくりしたい ④こだわりの主張がやたらつよい店が一定数ある ⑤そもそもラーメンだけを食べるって不健康すぎない?ミニサラダとか付けてほしい〜
……これだけ文句がつらつらと出てくるのだから、たぶんラーメン屋もわたしには来てほしくないだろうと思う笑
そんなわたしでも、「めんや 評論家おことわり」に出てくる「中華そば のぞみ」のラーメンの描写を読むとその未知の魅力にうっとりとしてしまう。素材の一つ一つが選びぬかれそれが調和した、家庭では絶対に真似できないだろうそのラーメンを並んででも食べてみたいと思う。これぞ文章の力。柚木先生がラーメン評論家デビューしたら一夜にして業界トップに登り詰めるだろう。
食べたことのない「中華そば のぞみ」のラーメンとは比べようがないけど、今日初めて食べたこちらのラーメンもとてもおいしかった。リサーチして行ったわけじゃないのだけど、クリアなスープ、全粒粉入りの中華麺、刻み柚子が乗っているところは「中華そば のぞみ」と同じだったし、チャーシューというよりローストポークと呼びたい薄いチャーシューは脂身少なくて食べやすく、地産の青菜のシャキシャキ感もよかった。これはまた食べに来てもいいなって思った。
食べながら思ったのだけど、こだわりの強いラーメン屋は味変を許さない、というところもちょっと苦手だ。この店も胡椒さえテーブルになかった。わたしはタイ料理がめちゃめちゃ好きなのだけど、麺を食べるとき、例の調味料4種セット(酢/唐辛子/ナンプラー/砂糖)を毎回使う。酸味も辛味も好きなのでお酢をめちゃめちゃかけるし唐辛子も追加する。自分の好みに合わせるカスタマイズに慣れていると、なんもないラーメン屋はちょっと物足りないよな〜なんてことを思った。
ラーメンのあとは『52ヘルツのクジラたち』という映画を観た。
原作は未読。噂に聞いて覚悟していたよりもさらにしんどい内容で、祝日とはいえ満席の劇場で、えっみなさん大丈夫……?とちょっと心配してしまった。わたし自身は映画に関してはけっこうリサーチするし、しんどい内容に対してもメンタル保てるタイプなのだけど(場合にはよる)、たぶん映画館に来る人の大多数はそんなに事前にリサーチしないよね……?
ちなみに公式サイトに注意はあります。激しい暴力を含む虐待や自殺、トランスジェンダー差別、アウティングの表現があります。
個人的にいちばん良かったと思うのは、志尊淳くん演じるアンさんがトランス男性であることを隠さなかったこと。公式サイトや宣伝でも公表してるし、前情報なしで観た人もわりと早い段階で彼がトランス男性だと明確にわかるシーンがある。
原作も初期段階の脚本もそのことは伏せて終盤に明らかになるような構成だったのを、トランスジェンダー考証である若林佑真さんの提案によって変更したそう。パンフのインタビューで若林さんがその狙いについてこう語っている。
「トランスジェンダー”だから”貴瑚とうまくいかなかった」という誤解を避け、「トランスジェンダーであるアンさんが何を感じているのか」ということがきちんとフォーカスされるようにしたい、とこだわりました。
実際映画を観て、若林さんの言葉がとてもよく理解できた。序盤に開示したことが確実に物語に良い影響を生み出したと思う。
好きな人にさえ、好きな人だからこそ、本当の自分について言うことができないアンさんの秘密。それを知っている観客だけが彼に共感して寄り添える。これが原作通りの構成なら、終盤までアンさんの言動がよくわからなくて距離を感じてしまったと思う。終盤でその事実を知ってあれこれが腑に落ちたとしても、「わからない」と思って見ていた時間はとりかえせない。たとえばアンさんがある人物から「(名前だけ聞いてたので)女だと思ってた」と言われるシーンでアンさんが動揺を隠して不安そうな表情を見せる(ここの志尊くんの演技素晴らしかった…!)のだけど、その理由が観客はわかってる。だから胸が痛む。あとから理解するより、その痛みを一緒に理解しながら見るほうがずっといい。こんなふうにトランスジェンダー当事者の心の痛みを共感させてくれる映画を満席の観客が観ている、という事実にもグッとくるものがあった。
このことは先日の日記でも触れた『怪物』をめぐる対談記事ともつながる。
「クィアであること」を隠したことで『怪物』は批判された。クジラを見たあとだと、隠すことの罪深さをより感じてしまう。終盤になって明かすことはミステリ的ネタバレであってそうしたほうが「面白い」と思ったのだろうけど、「クィアであること」があまりに「要素」として使われてる感がつよくてモヤモヤとしてしまう。一方、クジラのように彼がトランスジェンダーであることが序盤で開示されていれば、それゆえの苦悩の表現を非当事者であっても共感しながら見ることができる。
マイノリティにスポットを当てる作品は「面白い」ことよりも「当事者に寄り添う」ことを大事にしてほしい。
その意味で、トランスジェンダー考証をはじめ、インティマシーコーディネーター、LGBTQ+インクルーシブディレクターなど、様々な角度からのチェック体制を整えて挑んだクジラが、今後の邦画界の指針となってくれたらいいなと思う。
クジラについては本当に良いインタビュー記事が多いので(いつまで読めるかわからないけど)貼っておきます。杉咲花さん、志尊淳さん、宮沢氷魚さんらLGBTQアライの役者さんたちがこの映画を作ってくれて本当によかった。
今日は映画館までの往復で約1万歩!風はつよくて寒かったけど、春っぽさも随所で感じられてよかった。
そして以下は完全なるネタバレかつちょっとしたマイナス感想ですので見たくない方はスルーしてください。
アンさんを殺さないでほしかった。
いやこれはもう原作の問題だし、ここを変えるとたぶんぜんぜん違う話になっちゃうんでどうしようもなかったのは重々承知のうえ、それでも、トランスジェンダーを殺さないでほしかった。
女が死ぬ。レズビアンが死ぬ、ゲイが死ぬ。そしてトランスジェンダーも死ぬ。マイノリティがその差別構造によって死ぬ物語をもう見たくない。虐待サバイバーであるキナコが生き延びたように、アンさんも生き延びてほしかった。次はそんな物語が見たい、と切に願います。