100年前を生きた北村兼子の、男の決めた法律では女は生きづらいという文章を読みながら、兼子とほぼ同じ時代の『虎に翼』でDV夫と離婚するにもひと苦労、着物一枚取り返すにもひと苦労、な当時の女性の苦難に胸を痛め、そこから100年先のわたしたちの目の前で共同親権という、DV加害者が濫用するとしか思えない法案が衆議院を通過していくのを見て、しんと心が冷えている。
先月見た映画『コール・ジェーン』で中絶が違法だった女性にとって暗黒の時代が過去になったラストシーンを見たけれど、現実には映画が公開された年にロー&ウェイド(全米で中絶が合法化された画期的な判決)が覆され、各州において中絶を禁止することが可能になった。
時代は突然巻き戻される。当時者の意思は置き去りに。嘲笑うように。
「時期尚早」と「調査中」とによって、つっぱっている国情は反動頭が造りあげた手製の国情である。私は司法記者であった時代に婚約不履行の損害賠償請求の訴訟に負けた女が法廷を出るときに「アア判事さんは男であった」と叫んだことを想い出す。(北村兼子「悪法に呪いあれ」)
禍なるかな、法律は婦人の法律でなくして男子の法律であり、若い人の法律でなくして老人の法律である。時は進む法は退く、いろいろの悪習慣悪法則は一括して転覆せねばならぬ時が来た。(北村兼子「貞操の所有権と処女の賭博」)
「100年先のあなたに会いたい」と米津玄師が歌う。ここは、寅子が、兼子が、悔しい思いをしたたくさんの女性たちが、見たいと願った100年後だろうか。そしてここから100年後にどんな未来を残せるだろうか。いや100年先に思いをはせる前に、目の前の現実をなんとかしなきゃいけない。そう、思った。