こちらは文学フリマで無料配布した、ここ最近見たパレスチナ関連のドキュメンタリー3本の視聴日記です。映像で見るのはキツいと感じられる方も多いと思うので、代わりにわたしが見ておきました!内容も簡単にまとめてあるので読んでみてもらえるとうれしいです。
2024.11.19
『底のない暗闇へ イスラエルとガザの一年』
(ISRAEL-GAZA INTO THE ABYSS)2024/イギリス
こちらはNHKBSの「BS世界のドキュメンタリー」という枠で前後編に分けて放送されたイギリス制作のドキュメンタリー映画。2023年10月7日、ハマスがイスラエルの軍事施設を攻撃した日からのイスラエル、パレスチナ両国の一年をインタビューや実際の映像を使って描かれる。
結論から言うとわたしはこの作品はあまりよくないなと思った。歴史的経緯についての説明が少なすぎて、知らない人が見たら「どっちもどっち」と感じてもおかしくない構成だった。
ただそれでも証言や映像が記録されたことには価値があると思う。ガザのフォトジャーナリスト・イブラハムが家でくつろいでいるときに突然空爆され、家は瓦礫となり血まみれで病院に搬送される映像。ガザで手術などが行える数少ない総合病院が空爆により破壊された様子と、そこで働いていた外科医エルランがイスラエル軍に拘束され拷問を受けたという証言。被害の大きさ、あまりの非対称性を思えば、イスラエル側の被害者のインタビューに同じくらいの時間が割かれていることには疑問を感じた。
このドキュメンタリーを見た数日後、ネットニュースでガザのジャーナリストが殺害されたニュースを読んだ。その記事のなかで、イブラハムというカメラマンも亡くなったと又聞きのような形で書かれていた。そのイブラハムがわたしがモニター越しに見ていたイブラハムなのかどうかはわからない。調べようもないし、そうでなかったとしても喜ぶようなことでもない。どこかのイブラハムは亡くなったのだから。
映像の中でわたしの見たイブラハムは憔悴していた。「ガザを離れたい。もう血が流れるのを見たくない。爆弾の匂いに慣れるのも、もうこれ以上耐えられない。心の底から苦しい。ガザから出たい。このままでは爆撃で死ぬか撃たれて死ぬかだ」と。どうか生きて、彼がガザから脱出できていることを祈っている。
2024.11.20
NHKスペシャル『〝正義〟はどこに〜ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル〜』
2023年10月7日から1年後のイスラエルのレポ。ハマスに家族を人質に取られた人たちによる停戦デモは弾圧され、ガザの子どもたちについてSNSに投稿する高校教師は当局に拘束されてしまう。政府がかなり強権化しているうえ、大多数の市民もそんな政府を支持している状況で、表現の自由がかなり制限されていることに驚いた。
右派活動家によれば停戦を求めるデモは扇動であり、「ガザの無実の子どもが傷つけられている」と発言することはイスラエル兵を貶める行為であり、「これは善と悪、光と闇の戦い」であると言う。一方でガザの子どもたちについて投稿したことで当局に拘束され、職場でも非国民扱いで孤立する高校教師メイールはこう語る。「あちらが悪でこちらが善という考え方から抜け出すのは難しい」と。
また世界中の注目がガザに集まる一方で、ヨルダン川西岸(パレスチナ行政区)では武力によって粛々とイスラエル人の入植が進んでいる様子もカメラに捉えられた。暴力は激化し、行政拘束(逮捕理由も裁判も拘束期間のルールもない)が増え、パレスチナ人の安全が脅かされている。このままではまた新たな10.7が起きかねないと、自らも拘束されかつてないほどにひどい拷問を受けた難民キャンプセンター長のムンゼルは不安そうに語った。
このドキュメンタリーはアメリカの責任をも問う。国連では繰り返し拒否権を行使し、一貫してイスラエルを支持するアメリカ。「ウクライナに進行したロシアを非難する一方で、イスラエルの国際人道法違反を容認してきたことはダブルスタンダードなのではないか?」「ガザの被害者が増え続けてもイスラエルを支持するのか?」とアメリカ国連大使にNHKジャーナリストである鴨志田郷氏が直で質問をぶつけ、その冷酷な返答からはアメリカの欺瞞が強く印象付けられた。
番組を締めくくったのはネタニヤフ首相に逮捕状を請求したICC(国際刑事裁判所)のカリム・カーン氏へのインタビューだ。
「私たちは西部開拓時代に生きているのか。銃を持っている人がやりたい放題できる、2丁拳銃を持っている人が1丁しか持たない人を打ち負かす、これがわたしたちの望む世界なのだろうか。これは今後、数世代を決定づける重要な分岐点なのだ。平和を手に入れるのか、暴力に歯止めが効かない世界にするのか。世界の誰もが傍観者であってはならない」
この作品を見た翌日、ICCはイスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相、それに、イスラム組織ハマスの軍事部門、カッサム旅団のデイフ司令官の3人に逮捕状を出した。イスラエルやアメリカは強く反発している。ICCにはイスラエルやロシア、アメリカは参加していないが、日本やパレスチナ暫定自治政府など124の国や地域が加盟し、所長は日本人の赤根智子氏がつとめているそう。気骨ある決断を支持したい。
2024.11.21
NHKスペシャル『If I must die ガザ 絶望から生まれた詩』
If I must die
you must live
to tell my story
イスラエル軍の空爆によって亡くなった大学教師リフアト・アライール、彼が亡くなる数日前に投稿したこの詩が日本語訳とともにSNSに流れてきたことを覚えている。何度も何度も流れてきた。リフアトのことは何も知らなかったけれど、「If I must die」という4単語からなるこの最初のフレーズは、これを書いた人がすでに亡くなっている現実と重ね合わせれば、やはり衝撃だった。小さなモニター越しに見る写真や映像から受けるショックとは違う、それは言葉だけが伝えられる絶望だと思った。言葉は対話の始まりだから、そんな悲しいこと言わないで、と伝えたい。だけどもうその人はこの世にいない。彼の放ったボールを打ち返しても、もう何も返ってこない。〝間に合わなかったのだ〟やり場のない思いだけが強く残りつづける。
このドキュメンタリーでは、彼の教え子や友人のインタビュー、またギリギリまでガザの現状を発信し続けていた本人の映像から、生前のリフアトが語られる。彼は1979年に占領下のガザで生まれた(わたしとひとつ違いだ!)。十代の頃からインティファーダ(抵抗運動)に参加し、2008-2009年のガザ紛争を経て、ガザの現状を英語で発信しようと若者たちの教育に携わるようになる。
「わたしたちにはひとりひとり語るべき物語があること、わたしたちには語るべきガザの230万人もの人々の物語があることをリフアトは教えてくれた」と教え子の一人は語る。
「物語ることはわたしの抵抗の手段」リフアトはそう言ってパレスチナ人たちの物語、そして若者たちの言葉を育てることに尽力した。「物語を積み上げることがガザを守ることになる」「イスラエルはパレスチナ人と土地の繋がりを切り裂きたいと考えている。そのとき文学はわたしたちをパレスチナにつよくつなぎ戻してくれるのだ」と。
彼はフェアな人物でもあった。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』を授業で取り上げ、悪役の視点で物語を読んでみようと言われたことを教え子の一人は思い出す。ユダヤ人のシャイロックがキリスト教徒たちに向かって「あなた方とわたしはどれほど違うのか。同じ血が流れ、同じ痛みで苦しむのに」と訴えるシーンを読み、「不当な扱いを受けるユダヤ教徒とキリスト教徒、パレスチナ人としてどちらに親近感を持てる?」とリフアトは生徒たちに聞いた。生徒たちはみな「ユダヤ教徒」と答えた。他者への想像力を育てること。これもまたリフアトの信じる「物語の力」の効能のひとつだろうと思う。
また、学生が無知から反ユダヤ的な発言をすればリフアトはそれを必ず訂正させた。そのフェアな精神は、彼が訪米時にホストファミリーとなってくれたイリーズとの出会いがあったからかもしれない。イリーズは敬虔なユダヤ教徒だがシオニズムを否定し、イスラエル政府を批判する人だった。彼は滞在中に仲良くなったイリーズの娘ヴィオラに、年の近い自分の娘シャイマーをいつか会わせたいと願っていたという。
2023年10月7日、戦闘開始から2日後、イスラエルのガラント国防相から耳を疑う言葉が飛び出す。「電気、食料、水、燃料、すべて止める。わたしたちが闘ってるのは〝人間動物〟なのだから」。
〝人間動物〟
〝human-animal〟
各国のメディアでこの発言を批判し、ガザの惨状を訴えつづけるリフアトのもとにはやがて脅迫が届くようになる。自宅は破壊され、家族とともに避難生活を送ることになった。自身も大変なのによく他の人を助けていたリフアトだったが、徐々に疲れを口にするようになったと、そばにいた友人は言う。「人々のためにたくさんの水を運んで、疲れた」と。
11月1日、リフアトは〈If I must die〉を投稿。12月6日、空爆によって亡くなった。44歳だった。そして世界中に〈If I must die〉が広がっていく。
sees the kite, my kite you made,
flying up above and
thinks for a moment an angel is there
bringing back love
友人や教え子たちはリフアトの言葉を胸にリフアト亡きあとの世界を生きる。停戦の兆しさえ見えない現実を。
二人の娘を会わせる夢は叶わなかった。アメリカ人のイリースはデモに参加し、イスラエルへの武器供与を辞めるよう訴えている。
教え子の一人であるアスマー・アブドゥは今もガザに住み続け、廃墟で人々に英語を教えている。「人々にすこしでも希望を持ってもらうことで自分にも希望を取り戻す。この活動を通して自分の中の人間性を保っている」リフアトの詩は「自分の人生を生き、残された責務を果たすよう励ましてくれる」と。
家族とともにエジプトに避難した詩人ムスアブ・アブートーハはリフアトの意思を継ぎ、パレスチナの物語を語りつづける。「数字はすぐに忘れられてしまうが命の物語であれば人々は決して忘れない。『パレスチナについて語りつづける』というのは殺された名もなき人々に命を取り戻すことだ。物語を奪うことはできない。物語は残るんだ。言葉は永遠に残るんだからより強力だ。兵器や戦車の力が永遠に続くことはない」
If I must die
let it bring hope
let it be a tale
数日後、『現代詩手帖2024年5月号』をふたたび読んだ。パレスチナ詩アンソロジー特集号で、その一番初めにこの「If I must die」の邦訳が掲載されている。番組にも出てきたムスアブ・アブートーハの詩もある。
ほかに強く印象に残るのは、リフアトの教え子であるアリア・カッサーブの「人間‐動物の日記」だ。「人間‐動物」とはもちろん、例の発言を受けての言葉だ。聞くに耐えないと感じた蔑称のようなこの言葉を、アリアは「人間‐動物」を自称することであっさりと、そして鮮やかに取り戻す。そんなことはなんでもないとばかりに。そしてもっと大切な、リフアトの死について語るのだ。何度読んでも最後のセンテンスで泣いてしまう。
翻訳した松下新土氏が「If I must die」の解題にてこう記している。
〈この詩を読み、パレスチナで何が起きていたのかを知った、すべてのひとは、滅ぼすことのできない生命の物語を託されたのである〉と。
あなたもわたしも、託された一人だと思う。

