相互さんがリポストしてくれたこちらのインタビュー記事がすごくよくて、何度も読み返しています。今の自分にとって大事な言葉がたくさんありました。
ここのところ、芦原先生のことがつらくて、言いたいことは山のようにあるけれどSNSでの言及はぐっとこらえている毎日です。誰かを責める言葉を吐き出しそうで、それが怖い。それに、何を言ったところでもう取り返しはつかないのだという無力感もありました。
そのほかのことについても、それまでなら気軽にSNSに書き込んでいたこともいったん飲み込むようになりました。吐き出さなかった言葉は、すぐに忘れられたり、モヤモヤと残り続けたりしています。
「しずかなインターネット」を使い始めてから、今の自分にはこっちのほうがいいのかなと感じてます。こちらで書いた感想文や日記は、書き終わってもすぐには公開しません。半日から長いと3日ほどそのままにして何度か読み返し、修正したりします。別にそんな大した内容ではないのですが、急いで公開する理由もないので、ある程度納得がいくまで直してます。
だから大西さんのインタビューで出てきた「言葉のケアをする」というお話にすごく実感を持って理解することが出来ました。
SNSに書き込む文章は、センシティブな内容は別として、基本はそんなに考え込まず、思ったことをパッと放っちゃいますよね。本当にスピーディー。あとから見返して、別の言葉を使ったほうが良かったなとか、言葉の順番を間違えたな、と思うこともありますが、よほどの間違いじゃなければわざわざ訂正してポストし直すこともありません。これらの言葉は「ケアをされてない」んですよね。でもそのスピード感こそSNSの面白さだったりします。
反対に「言葉のケアをする」ということは時間のかかることです。自分の書いた言葉や文章を読み返すと、ちょっと違うなって修正することが多いんです。書いた文章への違和感について考えることによって自分の考えがクリアになるということがよくあります。書いては直し、書いては直し、の作業は自分の心に向き合うことでもあります。今のわたしは「言葉のケアをする」ことですこし救われているのかもしれません。
あと大西さんのインタビューの中で心に残ったのは、
「人は間違える生き物。あなたもわたしも。だから、『やり直しのきく関係』がすごく大事になってくるわけですよね。」
「自分も変わるのだから、人も変わるはず。変わる余地を、もっと人や言葉に与えてあげたいという感じはありますよね。」
という言葉です。
わたしはわりと怒りっぽく、他者の間違いや言動を許せない、と感じてしまうことも多くて、とても心の狭い人間です。そのせいでだめになった人間関係もありました。大西さんのような寛容な心を持ちたい…!と心から思います。自分も変われるはず、優しい人間になれるはず、と信じたいです。
自分の性格の悪さとSNSの炎上問題に関連して、考えを改めたほうがいいな、と思うこともありました。わたしは基本的にドラマであれ映画であれ小説であれ、商業的に公開された作品についての感想は批判的なものも含め、それを個人が発信するのは悪くないことだと思ってます。差別や中傷じゃない限りは表現の自由があるし、批判があるからこそアップデートもある、と思うからです。(悪口言いたいときだってあるしね!)
だけど誰もが思うがままにケアされてない言葉を発信してしまう、それだけでなくタグやトレンドによって悪意を増幅させるTwitter(現X)の場は、反省会タグの地獄を生み、芦原先生を追い詰めました。
今のTwitter(現X)では議論が過熱したときは制御できなくなる実例をすでに何度も見ています。なのに、Twitter(現X)側はシステムを改善しようとしません。それどころか青バッジのせいでますますひどくなっています。
自分自身が悪意のある使い方はしてなかったとしても、改善の意思さえ見せないTwitter(現X)という場にいることがすこしつらくなってきました。少なくともブルースカイやたいっつーは悪意が暴走しないためのシステムづくりに励んでます。
Twitter(現X)はたくさんの友達と出会えた場所だし、より良い価値観や情報を得ることも出来た場所ですが、今はとにかく失望しています。誰かを追い詰めるような場所とはすこし距離をおきたい気持ちです。
そんな気持ちは気持ちとして、やっぱり見ちゃうし使っちゃうんですけど、ここ含め他の場所も使いつつ、Twitter(現X)の滞在時間は減らしていければな〜と今は思っています。