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『虎に翼』第13週ふりかえり

hinata625141
·
公開:2024/6/30

第13週「女房は掃きだめから拾え?」

妻を迎える時は、自分より格下の家からもらうのがよい

格上の家との結婚が対外的にはメリットになることも多いだろうに、つまりこれは(男が家庭内で威張るためには)というエクスキューズ付きですよね。みみっちいな!

今週は梅子さんとの再会、大庭家ドロドロ遺産相続問題、花江の悩み、そして夢の朝ドラクロスオーバー!な一週間でした。


まず梅子さんとの再会、まさかの調停の場ではあったけれど、そのあと二人きりになった時の二人の喜び溢れる抱擁よかったなぁ…😭 よねさんやヒャンちゃんとは気まずく、花岡や小橋ともなんだか微妙なテンションの再会だったので、こんなふうに心から喜べる再会をずっと待ってた😭😭 そしていつも全力で泣いて再会を喜んでくれる轟ありがとう😭😭😭

今週明らかになった梅子さんのその後は過酷なものだった。離婚を強要され三男・光三郎だけを連れて逃げたものの、すぐにつかまって連れ戻され、その直後に倒れて麻痺の残った夫の世話を十年以上もさせられていたのだ。恥ずかしくてみんなに知らせることもできずごめんなさいと、梅子らしく淡々と語る様子に胸が締め付けられる。

……十年以上。なんて長いこと、梅子さんは孤独に生きてきたんだろう。自分を蔑む家族の中で、そして自分を徹底的に貶めた人間の世話をさせられるなんて。想像しただけで涙が出る。だけど梅子さんは耐えた。耐えてサバイブしたのだ。

だけど夫の死後、家族は遺産相続で揉めて調停に持ち込まれることになった。自分に全遺産を譲るという遺言書を持つ愛人・すみれ、父親そっくりで戦前の民法通りに全財産を相続したいと主張する長男、戦地帰りでアルコール依存症な次男、母親思いだがまだ学生の三男・光三郎、そして何につけても自分の意見を通そうとする義母。め、めんどくさ……

それにしても長男がすべてを相続する戦前の民法は、誰もが家長に従わなきゃいけない家父長制の根本みたいな法だったんだな…と思い知らされる。それが当たり前だと思っていたからこそ、法が変わっても人々の意識はなかなかすぐには変わらない。「そう簡単にこの国に染みついた家制度の名残は消えんということです」という調停委員さんの言葉の重み…うぅ…2024年でも名残はまだあります…。

すみれの遺言書の嘘は轟・よねによってあっさりと見破られるも、家族間の諍いはそのまま平行線だ。さらに光三郎が父の愛人であるすみれと通じていることが判明する。問い詰める梅子に対して光三郎はこう言う。

彼女はこうやってしか生きられなかったんだよ! 悪いのはお父さんだよ! ずっと彼女を縛って!

光三郎はあまちゃんだし多分すみれにもいいように手のひらの上で転がされてるとは思うけど、この言葉は真実だと思った。女性にまともな権利も仕事もなかった時代は、男性の愛情や結婚にすがるしかない女性もそれだけ多かったはず。すみれもそうやってサバイブしてきたのだ。(ちなみにすみれさんが最後まで清々しいまでの悪い女だったのはよかったです。また再登場してほしい!)

そんなぐっちゃぐちゃの家族の前で、ついに光三郎という希望の糸も潰えた梅子は気が触れたかのように大笑いする。そしてスッキリした表情でこう告げる。

私は全てを放棄します

相続分の遺産も大庭家の嫁もあなたたちの母としての務めも!

ぜ~んぶ捨てて私はここから出ていきます!

もう子どもたちはほぼ成人しているとはいえ、梅子にとって「母」の役を降りることは大きな決断だっただろうと思う。だって彼女が法を学ぶ動機となったのは「離婚して親権がほしい」、その一念だったのだから。その強い思いは叶うことなく戦争の混乱期を経て、そして子どもたちは大人になってしまった。自分勝手な大人に。手放すことが最後の愛情とばかりに梅子は潔く家族の前から去った、「ごきげんよう!」と笑って。

やっと梅子は自由になれた。情はあるだろうから完全に縁を切るというのは難しくても、法的に自由の身となり、誰かの世話になる必要も、誰かの世話をする必要もないと、梅子自身が決めたのだ。今週の梅子のエピソードからは、母親は母親という生き物ではなく、ひとりの人間なのだ、という強い思いが感じられる。「母」でいることが不幸ならば、「母」を降りて生きていくしかないのだ。

梅子の人生について考えるとき、第1週で寅子の本棚にあったモーパッサンの『女の一生』のことをよく思い出す。

『女の一生』の主人公ジャンヌは裕福な男爵家に生まれ、何不自由ない生活を送っていたものの、結婚によって運命が暗転する。夫ジュリアンはジャンヌへの愛情を早々に失い、ジャンヌの金を管理し勝手に使ううえに浮気グセがひどくジャンヌの乳兄弟であるロザリを妊娠させてしまう。つらい結婚生活に耐えたジャンヌの唯一の希望だった息子ポールもまた金と女にだらしない男に成長してしまう。この時代、19世紀前半のフランスではまだ女性の立場が弱く、女性は男性の所有物あつかいで、また法的に離婚も許されてなかった。ジャンヌは自身のひどい運命を受け入れるしかなかったのだ。まるで梅子のように。

ジャンヌは夫を喪って(浮気相手の夫に殺された)、やっと自由になれたかと思うが息子ポールへの未練を断ち切ることができない。数十年ぶりに再会したロザリとともに、ポールが内縁の女性に産ませた赤ん坊を引き取るシーンで物語は幕を閉じる。「人生ってのは、皆が思うほどよいものでも、悪いものでもないんですね」というロザリの言葉とともに。(いやいやだいぶん悪いほうだぞ!?耳どおりのいいセリフでまとめないで!!)

ジャンヌは息子への未練を断ち切れなかった。それどころか、そのポールの子どもまで引き取ってふたたび「母」となろうとしている。それこそが女の業であるといわんばかりに。

梅子は「母」を降りることによって自らの地獄に幕を引いた。圧倒的に不利な社会構造の中で過酷な運命を引き受けた女性が、「母」の役割に「ごきげんよう!」と手を振って自らの幸せを掴みにいく。梅子の物語は『女の一生』を見事にアップデートしたのだ。


そして今週は「梅子さんのおにぎり」についても考えさせられた。正確に言えば「おにぎり」に代表されるケアワークのこと。「おにぎり」といえば日本社会では「女子マネ問題」でもあって、女性による無償奉仕の象徴の意味合いを帯びる(ググったらもう10年も前の話題だったので知らない人もいるかも)。

梅子はケアの担い手であり続けた人。学生時代も寅子たちだけじゃなく男子学生にまでおにぎりを配っていたし、酒呑んで管を巻く次男のためにおつまみを作ってあげたりしてるし、家族からも疑うことなくこれからも家族の世話をする人、と認識されていた。

そうしたケアは新自由主義の中で価値を生まないものとして軽視され、今も低賃金、もしくは無報酬で家族が担わざるをえない。だけどケアの軽視が社会的なリスクとなるのはコロナ禍で証明され、またそうしたケアワークの担い手が女性に偏る社会構造はフェミニズム視点からも長らく批判されている。

このドラマでも度々取り上げられる「直系血族及び同居の親族は、互いに扶け合わなければならない」という民法第730条もまた、公的補助ではなく家族内でなんとかしろというケアの強要の根拠になりうる。(今回はそれを逆手に取って梅子が家族から抜けて自由になるというアイディアがすごかった😂)

このドラマが「梅子さんのおにぎり」を通して描きたいのはケアの捉え直しなのではないかと思ってる。たしかにケアワークは梅子が苦しんだように、無償奉仕の強要にも、ときにはやりがい搾取にもなるだろう。だけど人間はケアすること、ケアされることによってしか心が満たされないときがある。困った人たちのために深夜まで働くよねと轟の胃を満たし、慣れない子育てに疲弊したヒャンちゃんが「梅子さんのおにぎり」に涙するシーンを見て、改めて思う。誰にも強要されない、搾取されない「梅子さんのおにぎり」はケア本来の尊さの象徴なのだと。


そんなケアワーク問題は花江の悩みともつながっていく。完璧だったはるのようにうまくできなくて息子にまで心配をかけていることに落ち込んでいる。「私だけなんだか自分の役目を果たせてない」と。

いや〜でも実際、花江ちゃんのこなす家事の量、半端じゃないと思うよ?大人3人に子ども3人、食事を作るだけでも大変なのに、炊飯器も洗濯機も掃除機もないんでしょ?あと毎日全員分のお弁当も作ってるよね?わたしなら半日でギブです😭

そんな花江の悩みを聞いた梅子はこうアドバイスする。

いい母になんてならなくていいと思う。自分が幸せでなきゃ誰も幸せになんてできないのよきっと。

梅子が長い時間をかけてたどり着いた、本当に実感のこもった言葉が花江に届く。花江は「手抜きをさせてください」と素直に直明や子どもたちに甘えることができた。

ただ、いくら子どもたちが手伝ってくれたとしても、やっぱり寅子が忙しくなればなるほど、家庭内でのケアワークが花江の方に偏っていくわけで。梅子と違って「母」を降りるつもりもない花江の悩みは続くだろう。現代にも通じる働き方問題にもつながりそうなこの話はまだ来週以降も続きそう。どんな答えを見せてくれるのか楽しみにしてる。


そして今週はなんといっても!朝ドラ前作『ブギウギ』の茨田りつ子さんがやってきたーーー!!!朝ドラクロスオーバー最高です!もっと軽率にやってほしい〜!いやでも大変ですよね実際。その大変さを乗り越えて見せてくれたものだから、ほんとーにありがたいしかないです😭ありがとうございます😭

今週登場した茨田りつ子は、時代を代表する歌手であり、『ブギウギ』の主人公・福来スズコの良きライバルでもあった。モデルは淡谷のり子さん。スズコに初対面で「じゃがいもみたいな顔ね」と毒づくなどクセのある人だったけど、情には厚く曲がったことが大嫌いなキャラクターで(官憲ともよく喧嘩してた😂)、その存在感、歌唱力も含めて菊地凛子さんが見事に演じきっていた。

「ライアンさんから頼まれなくても絶対に引き受けてたわよ、私」そう寅子に向かって言ったりつ子の言葉の意味を、『ブギウギ』視聴者はわかっていた。

りつ子にはリグレットがあった。歌手として生きるためにはどうしようもなく、かつて産んだ子どもを田舎の母親に預けっぱなしになっていること。そしてもうひとつは、戦時中の慰問で、少年のような特攻隊員たちをみずからの歌で送り出してしまったこと。だからこそりつ子は、子どもたちのためになるような仕事なら喜んで引き受けたのだ。

もちろん単なるクロスオーバーでもうれしいのだけど、ふたつの物語の組み合わせに必然性まで帯びていることがすばらしいなと思う。いつから考えてたんでしょうね。思えば寅子が見合いがいやすぎて「梅丸歌劇団(『ブギウギ』に登場する歌劇団)に入ります!」と宣言したところからこの物語は始まった。そのときは前作への目配せいいね〜くらいに思ってたのに、こんながっつりしたコラボが見られるとは思ってなかった。まさかのステージパフォーマンスまで!菊地凛子さんはほんとうにエンターテイナーだなぁと思う。ますます好きになりました😭


そして今週を締めくくったのは寅子の「モン・パパ」だった。ラジオ出演や「愛のコンサート」を成功させた寅子が満ち足りた笑顔で元気よく歌う。その歌をバックに、梅子のおにぎりを食べるよねやヒャンちゃんの姿、そして夢で会いに来た直明に抱きすくめられて幸せそうな花江、そして「きっと私の働きっぷりを褒めてくれる」優三の写真が映される。

思えば妊娠したころから、戦争もあり、一度は仕事をやめ、つらすぎる別れが続き、ずっと浮かない表情だった寅子がひさびさに曇りない笑顔で歌ってる姿に泣けてしまう。本当にいろんなことがあった。でもきっと一番つらい時期を寅子はサバイブできたのだ。

これからも色々あるだろうけど、きっと寅子なら大丈夫。そう思えた後半戦のはじまりでした!がんばれ寅子〜〜〜


第12週シナリオふりかえり

  • 寅子、判事補任命のシーンのセリフがけっこう削られてて、桂場との小競り合いはシンプルに見たかったです😂

  • 道男が猪爪家から出ていったあと、寅子がひとりで道男を探してよねの元を訪れるシーンがカットされてる

  • よねが寅子を追い出したあと、放送では轟がカーテンからぬっと顔を出してたけど、シナリオではカウンターの下で隠れていた轟がすっくと立ち上がる、となってる。カーテンのほうがたぶん面白かったんでしょう😂

  • 今週分の放送を見てから読み返すと、猪爪家にとってはるさんという存在がどれだけ大きかったか…と改めて感じました😢


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@hinata625141
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