「趣味に意味は必要ない」という至極当然の気付きについて

大型連休明けなので、特にゴールのない身の上話を。趣味(余暇)時間の使い方についてのぼんやりとした悩みについて言語化したいと思う。

主題は、30代になってから有意義な時間の使い方を意識しすぎて、あんま楽しめてないな。という一方で、どうやったらもっと有意義にすごせるんだろう。と、両面から悩むことが多くなったという話である。


まず自分の性質から。

基本的に、何か一つのことに没頭するのがあまり得意ではなく、色んなことに広く浅く手をつけることが多いタイプである。加えて漫画を読みながらアニメを見る、片手間でゲーム。みたいなマルチタスカーだった。

この状態があまり好きではなかった。なにもかもが中途半端になってしまうから。ひとつの事を突き詰めていく没頭派が羨ましかった。

28歳くらいからだろうか、そのスタイルを少しづつ変える努力をしてきた。

  • シングルタスクを意識する

  • 趣味を5つくらいに絞る

  • 資産性(経済合理性)のある趣味を残す

こうやって、興味の幅を減らしお金と時間を集中させることを意識的にしてきた。

結果、時間の浪費はものすごく減らせていると思う。ソシャゲやギャンブルなどの本当にお金と時間を溶かすようなことは手放せたし、読書や筋トレなどのプラスにしかならないことと、ゲームやマンガなどの単純にストレス解消になるもの、服などの日常の見た目に関わるものに対象を絞れている。

(趣味の内容については長くなるので詳しくは述べない)


ただ、経済合理性(これ、人生にとってなんかプラスになるのかな?)、没頭可能性(一番になれるくらい突き詰められるか?)の問いを持って余暇時間を使っていると全然楽しくない。せっかくの余暇時間を楽しくない時間の使い方で終わらせてる感じがする。

例えば、映画を見るときは「この映画からなにか学び取ってやろう」と構えてしまうし、ゲームをやるときは「はやくこのゲームを消化して他の積みゲーをやらねば」といったマイミッションを持ってしまうのだ。YouTubeもゲーム実況が好きだったのに、いまや教養系の動画ばかりみている。

純粋に楽しむことを放棄してしまっている。

こういう状態は、逆に没頭できないし、経済合理性も失うみたいな矛盾も抱えている気しかしない。

どうすればいいのか??

こんなしょうもない悩みを持ってる人の方が珍しいと思うが、平日休日合わせて仕事が8割の自分にとっては残りの2割の過ごし方は死活問題である。

今のところ分かっているのは、自分は放っておくと趣味が四方八方に分散してしまうこと、趣味は人生の糧になるべきだと思いこんでること、使命感を持った趣味は全然面白くないことだ。

仕事が趣味と言ったらそこまでなのだが、もう少し有意義かつ楽しく取り組みたいところ。


あんまり解決方向に向かっている気はしないが、自然と楽しんで取り組めるものを残し、一方でやらないことは決めるしか無いのではと思っている。

自然と楽しんでやってしまうことが大事だし、一方で努力してやらなきゃいけないみたいな使命感は捨てる。そのバランスが重要だなと。

趣味における謎の使命感とは、ソシャゲで例えるならばデイリークエストは必ず消化しなきゃいけないし、コラボガチャは必ず揃えるみたいなやつだ。

加えて言うならば、最終的にこれができるようになりたい、こうなったらいいな、こういう目標設定を考え始めると自分は「だったら、まずこれはできるようにならなければいけない」みたいな感じでロードマップを頭の中で引き始めてしまう。多分これが一番良くない。

自分はピアノをたまに弾くのだけど、多少弾けるくらいの初中級者くらいなので「まずはハノンを…」とか「ソナチネくらいまでは普通に練習曲でやろう」とか段階を踏んでしまう。このステップも当然重要だが、楽しくない。

趣味に関しては

  • 高尚な目標を立てない

  • ロードマップを引かない

  • 使命感を持たない

こういうのが重要なんだろうなと書きながら言語化した。仕事じゃないし、死ぬわけでもないので。

まとめ

意識の仕方の問題でしか無いのだけど、「意味がある、ではなく、楽しい。に繋げる。」が重要だなと。仕事と趣味を同じフォーマットで考えちゃダメだなと思いました。

効率とか考えない。効率を考えるのが好きならそうすればいいけど。

こんなこと真面目に悩んでる人いるんかな?

以上

@hira2k
ツッコミどころ満載の言語化メモ/unnameマーケティングコンサルタント/前職:ナイル㈱(事業マーケ←SEOコンサル)/慶應経済テニサー()出身/ ガンダムとマリノスとベイスターズがスキ/筋トレは歯磨きゲームは友達 X:@naoki_hiratsu note:note.com/nnnnaokiiin22