※読んでいて楽しい話ではないです
傷つき傷つけることを恐れ、誤り道を逸れることをも恐れた人間は、そのうち数あるはずの選択肢を失って雁字搦めになり、数少ないベストプラクティスのみをひたすら繰り返すだけのBotへと成り下がる。ソースは私。一体いつからこんな省エネ思考で生きてきたのだろうか。感情が揺さぶられないよう思考することを諦めた頭では、もはや記憶も定かではない。
0か1、正か誤、白か黒だけの世界で生きるのは楽だった。至極乱暴な言い方をすれば、その2択の分岐を繰り返せば必ずいつかは解に辿り着くからだ。厳密にはその2択の枠に当てはめられないものも、ある程度の公式やメソッド等に覚えがあれば、変数や定数を置き換えるだけで解決できることもある。やっていることは固有名詞だけを書き換えたただのコピー&ペーストである。やる気のない大学生の論文か。
ところがどっこい世の中にはそれだけで解決できない物事なんてごまんとある。人間関係なんてその最たるもので、TRUE/FALSEを用いて会話を図ろうものならあら不思議、あっという間にアキネイターの出来上がりである。すべてがIf文のネストを繰り返して表すことができる構造ならば、とっくの昔に世の仕組みの大半はオートメーション化されているはずなのである。理屈だけで言い表すことができないのが人間であり、だからこそ何が起こるのか分からなくて楽しいと思えるのがきっと人生の醍醐味なのだろう。変化を恐れる自分には到底至れない境地である。
こうして記憶領域や思考のリソースを節約した生活を続けてきた結果何が起きたかというと、まず自分の持つ手札だけで解決しようとする癖がついているため、思考に創造性がなく新しい物事を覚えることができない。そして情報を削ぎ落として構造を単純化することには長けているが可逆性がないため、情報を深堀りするといったことができない。厳密にはできないというより脳に多大な負荷がかかるというだけなのだが、私のような隙さえあればサボろうとする人間とはとことん相性の悪い思考法である。だからこそここに辿り着いたとも言えるかもしれないが。私の書く文章が事実だけを羅列した報告書のような体を成しているのは、この辺りに原因があるような気がしている。
正多角形の角が増えれば増えるほど円に近づくように、人生の引き出しや選択肢を増やせばもっと人間らしい生活が送れるようになるのだろうか。AIが世間一般に台頭してきて久しいけれど、私はまだ人間でいたいな。などと思う今日このごろ。日頃使わない脳の領域を酷使したので頭が痛い。今更すぎる言い訳ですが、これはただの独り言です。
※中の人はよわよわ文系出身エンジニアの端くれなので、この文章は適当抜かしているところもあります、どうかあしからず。どこかのアルマジロ的な先生も文系理系の区別なんぞ存在しないとかなんとか言ってたし、まぁええか。世の中私か私以外かでできている。