「生きる力が増える」かかわり
「はたらく」ということ、「しごと」ということにしっくりくる言葉をうけとった。
循環という言葉を使っていたけれど、抽象的で、忙しくなるとそれがどういうことかわからなくなっていた。
だから、自分のケアもできなければ、当たり前のようにコーチングもできなくなった。
「欠損をどう埋めるか」ではなくて、かかわる相手の「生きる力が増える」かかわりをする。
去年の1年、転職し、「伴走」ってなんだ?と考える余裕もないままに進んでいた。春を迎えて、やっと少し余白ができ、成人発達理論の網の目理論を知ったときに、「関わることで本人たちだけではできないところへ進むための支援」が伴走たる営みだな、と気づいた。
それをとてもシンプルにしたことば。自分にも向けられることば。一番土台になることば。
正月のわたしは、疲れやさぐれていて、どう在りたいかなんてかんがえられませ~~~ん、とぐ~たら漫画を読んでいた。きっとそのときは、同じことばをきいても、すとんと落ちなかった気がする。いまだから受け取れる。受け取れて本当に安心している。
同時に、「在り方」と「ことの進め方」のすみわけのようなものも大事だなと気づく。去年のどっちもわからないまま進んでいたわたしは、腹の中でずっと矛盾みたいな気持ち悪さを感じて息がつまっていた。
ここをすこしでも整理できると、息が通りそうだと感じる。実際に、まだ整理はできていない今時点でも、コーチのこっちゃんから「風が通っている感じがするね」とフィードバックをもらった。
自己批判のループになって、自分を傷つける。できない不安から勝手に相手に役割を期待し、満たされないとイライラする。そしてそんな自分の未熟さがまたループになり、自分への信頼がなくなっていく。
そんな時間を経験したからこそ、まず自分自身に生きる力が増える関割りをする大切さを実感できた。とはいえ、「何をしたら増えるのか」はまだこれからさぐるのだ。
昨日みた、夕暮れどきの水を張った田んぼに映るローカル電車は最高だった。