過去の自分の文章を読むと、誰がこれを書いたんだろうと思うことが多い。
読むと確かにそうだな、と思ったりするけど、そうそう!そうだ!とうなずくよりも、なんだか固いな~なんて思う。
最近は、いつも仕事で気を張って、呼吸が浅くなって、心身がつかれることに嫌気がさしている。特に、自宅でオンラインでグラフィックをするとき、気を散らすものが少ないから、ぎりぎりまでPC関連のツールでより対策できるんじゃないかと考えるから、顕著に自覚する。
現状を受け入れられていないからだろう。
起きることを信じられていないからだろう。
専門性が高いひとたちの話に対し、インプットの準備がままならないが大丈夫だろうか。適切なニュアンスを必要な早さで表現できるだろうか。より意味のある関りができるだろうか。
今やっているお仕事は、グラフィック以外でも、いつだって自分の手の中になにがあるのかさえわかっていないなかで、何が起こるかわからない、ほぼ想定できない時間。今のわたしに事前に必ず持てるのは意図だけなのかもしれない。
それで、結果その時できる範囲でやれることをやるしかないのだけど。
今、ここで大事にしたいのは、「そこでどうするか」の対処のまえに、「何を恐れているのか、そこ深くまで知ること」。そして「じぶんは、なにをだいじにしたいのか」握ること。
いつも目まぐるしく、気が張って、すっかり自分が何が楽しくて、どんな時間を増やしたくて、どう在りたいのか、すっかりわからなくなってしまった。