今年の冬は長い間、気が枯れていたけれど、やっと雪解けを感じている。すると、とけた雪の間から、雪が降る前と変わらないイライラの感情が顔を出す。
冬の間はどうしようもないからと保留にしてみたが、結局そのまま出てきたじゃないかと嫌気がさす。
でも春が近いから、ちゃんと手に取れそうな気がしている。ながめていたら、大事なものだと気づき直す。
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初めて自分のニーズのようなものを自覚して、転職という形でフィールドを移したが、すぐに自分がどんな時に楽しくて、うれしくて、もっとやりたいのか、迷子になった。
体験しないとわからないし、と思っていろいろやるけれど、やってみてもよくわからなかった。損得勘定や適応という薄霧のようなものも感じつづけていた。
雪解けして見ても、やっぱり迷子で、辟易としていた。でも思えば、繰り返して同じパターンででてくるイライラという感情は、わたしの「たまらなく」「わけもなく」という思考ではなく自分が大事だと思っているものを表してくれているのかもしれない、と気づきはじめた。
イライラが教えてくれるのは、自分の不安だと思っていたけれど、さらに根っこがあったんだ。
それは掘り起こしてみなければ、見ることはできない。
渦中にいては、それらが難しいということにも、時間の効能も、改めて気づき直す。
ただその根ごと取り出すには、なんだかいろいろ絡まってくるし、春風が強くて、まだまじまじと見ていられない。
急がないで、あたたかくなるまでゆっくりいこう。