磁石から離れたい

hirono
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どうにも、ここ数ヶ月、楽しむモードになれない。何が悲しいとか寂しいとかではないんだけど、創造的に「どう在りたい」とか「ビジョンを描く」ようなことに気乗りしない。気乗りはしないんだけど、心身と思考の整合性は取れていない感じがしてきもち悪い。

1,2年前のノリノリで内省し、問いを探究していたときのことが遠い昔のよう。

でも未来に対して何も理想を置いていないと、目の前のことばかり視界に入ってきてしまい、きもちも狭くなる。だから、ちょっとだけ考えてみる。すると浮かんでくる理想がある。

浮かんできたものを、「原動力になるほどにしっくりは来ないんだよな」と頭の片隅に置きながら過ごしてみると、気づいたことがある。

今浮かぶ理想は、全て「自分がどうなったら社会と心地よく関われるか」という観点に着地する。つまり、それは、社会は心地よくなく、億劫なものだという前提がある。

どうにも、ここから離れられない。強い磁石のように、初めは遠くてじわじわじわじわと引き寄せられていたと思ったら、気づいたときにはシュッピタッと勢いよくくっついてしまっていた。

1,2年前はコーチングを通して、創造的に、どんな人生をつくりたいのか、どんな社会をつくりたいのか想像し、能動的に動けていた。でも、それは、以前よりも自分と社会との距離が近くなることだった。

今思えば、その中にも、いかに省エネに社会と関われるのかという期待が含まれていたのかもしれない。

フィールドを変えたから、必要となるスキルも体現することも変わり、自分に足りないところがたくさん目に付く。

だからまた、防衛的な思考、批判的な思考がつよくはたらいているのだろう、と思う。

なんだか、狭くて窮屈だ。受動的に社会をみている。他者との関わりがあってはじめて個性がが活きるとはわかっていても、同時に放棄して閉じこもっていたくなる。極度のめんどくさがりだから。

どんな社会だったら、わたしは心地よく感じるのだろうか。

社会という枠組みをとっぱらってみることができたら、どんな気持ちになるんだろう。