仮に人生に汚点があったとして、その人生はゴミと断じられるのか?Starfieldというゲームを一言で言い表すとこんな感じだ。
そしてStarfieldを作ったBethesda Softworksはそんな真の意味での”人生ゲーム”を長年作ってきた会社でもある。
数十万km²の広さの大陸に75万人ものNPCキャラクターが生活するという、近年のゲームと比べても異常な規模の世界を3Dで作り上げ、あまつさえ主観視点で冒険する。そんなゲームを1996年には作り上げてしまった会社だ。「別の人生を体験できるほど巨大な世界をゲームの中に作りあげる」それこそが彼らの最終目標だということは誰の目にも疑いがないところであろう。
そんなBethesda Softworksの最新作がこのStarfieldである。名前の通り、とうとう一惑星の大陸には飽き足らず宇宙全体を構築し、その中を自由に行き来して第二の人生を味わえるという途方も無い規模のゲームを彼らは作ってしまった。なんてったって宇宙である。1600以上の着陸できる天体、イカれた量のクエスト、そして人生やり直し要素ともいえる周回要素。彼らが自信満々に広報したゲームは確かになるほど、大きな大きな野心の証明と言って差し支えないものだった。問題はそんなゲームが本当に面白いのかどうか、なのだがまさにその点が最初に言い表した歯切れの悪い一言なのである。
実際このゲームには汚点が数多くある。とはいえ最近のゲームは制作にかかる途方もない労力に対し、異常なまでの完成度を要求されていることも念頭におかなければならない。というかそもそもBethesda Softworksのやっていることは異常だ。”あなたが生きる”世界構築のためにあらゆるコンテンツを人類の持つ作業能率の限界の限り用意してやろうというその姿勢は、ほかのどのゲームメーカーにも見られる物ではない。「ベセスダゲーの代わりはない」とはまさに真実なのである。
そんな異常な作られ方をしてきた唯一無二の「人生再現しちゃうぜ」ゲームは発売日に購入すればこれまた異常な数のバグに見舞われることが常だった。「お前の素敵な人生だってバグまみれだろ?俺たちの作ってるものだってゲームというよりかはセーブ&ロードできる人生なんだ。そう、とっても複雑なんだ。だから多少のバグなんて我慢して楽しんでくれよ。」それが Bethesda の揺るぎない立場であり、その「汚点入りゲーム」を何度でも渇望し受け入れてしまうのがプレイヤーとBethesdaの一風変わった関係なのだ。
が、Starfieldではその「汚点」であったバグは鳴りを潜め、また別の形で「汚点」を孕むことになる。なんというか、あんまりおもしろくないのである。もしBethesda特有の”異常な量”のバグが尖った仕様を突き詰めて実装した結果発現するものだとするならば、今回はすべての仕様をバグが少なくなる様、要素が中途半端になることも厭わず丸くまとめあげたのではないか。そんな印象を抱いてしまうのだ。根幹であるクエストそのものは飛び上がるほど面白い。だがなぜかメインクエストがびっくりするほど詰まらない。サイドクエストはあんなに面白いのに。では拠点作りは?話に絡まないし詳しい説明も無いのであまりやる意味がない。では宇宙船作りは?好きならやってもいいかもしれない。宇宙船のデザインは本当に素敵だ。だけどあとは上に同じ。スキルは?周回前提の経験値要求量でとてもじゃないが付き合いきれない。と、一事が万事がそんな感じなのだ。プレイしていて「もうちょっと面白くなれたんじゃない?」そう感じてしまう事、それこそがこのゲームの汚点だ。
ここで最初の一言に戻ろう。仮に人生に汚点があったとして、その人生はゴミと断じられるのか?答えはNOだ。別にゴミではない。そもそも人生なんてつまらないものだ。ましてやゲームだ。数百人が数十年単位で取り組んだ荘厳な成果物ではあるが、現実の情報量には敵いっこない。しかし、ここに宇宙世紀の人生を目いっぱい再現したデジタルコンテンツが誕生した。その事実が重要だ。あなたは十分でも無ければ完璧でもない「別の」人生を歩むことができる。そこに魅力を強く感じるなら是非手に取るべきだ。汚点なんて気にならないほど人生を謳歌できるだろう。でももし「完璧でない人生に我慢したくない」と思うならプレイするのはやめたほうがいい。プレイするほど目立ってくる「汚点」があなたを蝕み現実人生の貴重な時間を無駄にするだろう。
私はといえばこのゲームの一週目をクリアする兆しさえない。そもそも考えてみればBethesdaのゲームをクリアできたためしがない。それでも律儀に発売日に彼らのゲームを買ってしまう。
そんな不完全な自分の人生を、結構楽しんでいる。