誰も知らない髪を切る

廣石鹸
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なんというか、苦手なものの一つに美容院がある。

美容師との会話も苦痛ではないし、髪を切ってさっぱりするのは気持ちが良い。ただ、一時間ほど逃げ場なく一つの場所で頭を固定されるのがどうしようもなく苦手なのだ。しかも隣にはたいてい他の客がいるし、よくわからないサービスを勧めてくる美容師までおまけでついてくる。

「お客さん、普通の水よりもっと細かい分子を持つ特別な水で頭を洗ってみませんか??」

分子より細かいなら原子なんだろうけども、それはつまるところただの水なのでは?などとぼんやり考えながら、「身動きをとれない状態で」「刃物を持った人間から」「怪しい商品を都度勧められる」この状況にうんざりしてしまった。どこの美容室もこんな感じなんだろうか?

ほかにも嫌なことがそれなりにあったので、コロナ禍を機に自分の散髪はすべてセルフヘアカットに移行することを固く誓った。そもそも私はがさつな男で、おしゃれでもなく、大した髪型でもない。少し失敗したとて誰も気にしないだろう。そう思ったからだ。

それからというもの、この4年間自分の髪は自分で整えてきた。大した出来事は何もなかったけれど気付いたことは三つ。

その1:思った以上に自分は器用だった。一度も手ひどい失敗はしていない。

その2:思った以上に変な髪型の人はいっぱいいる。ちょっと失敗しても恥ずかしいことはない。

その3:セルフカットだとバレたことはない。要するに私の髪なんて誰も見ていない。

そんなこんなで私は今日も髪を切る。誰も知らない髪を切る。

@hirosekken
すべてフィクションです。