健康診断で一部の項目が要注意ラインをかなり上回ってしまっていた。実を言うと前から要注意にはなっていたのだが、なんとなく見て見ぬふりをして生活改善も行っていなかったらこうなってしまった。
これを機に、なんとなく測るのをためらっていた体重をまた測るようになった。数年前よりやはり増えてしまっておりショックだったが、向き合うのも大事である。一時期毎日測っていたのに測らなくなってしまったのは、体重の数字に囚われてしまいストレスになってしまったからである。しかし体重を測らなくなったからといって体重が増えなくなったわけではない。向き合うことを疎かにすれば、問題は大きくなる一方である。
生活の様々な場面で、何らかの指標として数字が使われる。気温や湿度といった外部環境、上で挙げた体重や血圧といった身体の状態、学生ならテストの点数や偏差値といった学力も数字で表される。社会人なら成績の評価や給料に表れるだろう。学業や生業の場を離れても、SNSのフォロワーやいいねの数、YouTubeの再生数やチャンネル登録者数などは、普段それを使っている人からすれば気にせざるを得ないだろう。
特にTwitter(現XだがTwitterの呼び方に慣れてるのでこう呼ぶ)ではいいねやフォロワーの数、最近ではインプレッションという数字なんかを気にして随分と心を乱されている人が散見される。特にインプレッションによって収益を得ようとしているならばこれは死活問題であろう。それだけ必死になってインプレッションを得ることによる対価がどれほどのものなのかは特に知らないが。
ところが、別に青いバッジをつけていない(=インプレッションで収益を得ない)人であっても妙にインプレッションを気にする人もいる。これは例えばTwitterで作品を公開していて、絵や漫画の仕事を得るための実績にしよう、あるいは同人誌でも即売会で自分のところに来てくれる人を増やそうとしていることがあるので理屈は分かるのだが、数字を気にしすぎて調子を崩そうものであれば本末転倒であろう。フォロワーさんが調子を崩すところはできれば見たくない。
かく言う私自身も、この数字をどこまで意識するかだいぶ悩んでいた時期があった。作品をアップして数字を気にしすぎるのは良くないが、かといって数字を全く気にせず作品を作り続けても…という具合である。最終的には、「囚われない、でも疎かにしない」という結論になった。数字に心を引っ張られそうになったらこれを思い出すようにしている。バランスが大切である。
さて、健康面に関しては自炊も交えて少しずつ摂取する油の量を抑えるようにし始めている。これが1年後とかに成果が出ればよいのだけれど。