朝ごはんは、あんこと塩のパン。昼ご飯は、チキン入りイギリスカレー。夕ご飯は、乾燥野菜のお味噌汁と野菜カレーとサラダ。
いよいよわけわからなくなっているのがわかる。しかし私は何食か続けてまあまあ同じ味のものを食べるのはあまり苦ではないのだ……。サラダは罪(?)滅ぼしということ。
土崎のいとくに侵入したクマが捕まって処分されたニュースをみた。今朝八橋にクマが出たというニュースもみた。職場の人と実はクマは海や川を泳いでるんじゃないかという話をした。
クマが悪さをした時、人間にとっての悪事を働くに至った要因よりも、その個体の行く末が盛り上がる傾向にあるのがすこし居心地悪く感じる。処分への反発に対して、かわいそうだと思うならあなたが飼育したら?という反論が成り立っているあたりにそれがある。
機会がありお茶を点ててもらった。裏千家という流派らしい。茶道の所作はなにかの魔法みたいだし、用語に至っては外国語みたいに分からない。こんな身近にここまで知らないものがまだあったんだ、という驚きと、何もわからないまま参加させてもらう申し訳なさと一抹の恥ずかしさ。その道に詳しい人が素人に語るとき、こちらの無知をフォローしながら説明してくれることがある。文化としてそこにずっとあったのはそちらで、私が出会ったのが今というだけなんです、といちいち注釈を入れたくなる。感覚をうまく表現できてる感じがしないなあ。
感情が良くない形で動くニュースが多い。私は目で見たものに影響されて変なところでショックを受け調子を崩すことがあるので、引き続き自分のバランスが保てる範囲でのコミットを続ける。できることをできる人ができる範囲でやるのが社会というものだと思っている。でもこれはできないことばかりだからかも。
私はたぶん人から向けられる温かい気持ちに気づくのが苦手で、どんな場にいても次の瞬間に追い出されることを恐れて怯えている。とにかく感情や思いの機微がわからない。好きと嫌いの果てしない中間や尤度のことが全然実感できない。成長するに従って人との気持ちのやりとりはより微妙で繊細なものになるから、大人の世界で暮らす今の私にとって、この世界はほぼ理解不能でできている。いまや、安心を求めるには、温かさや重さといった感覚的な快、もしくは自分の中にある確かなもの、例えば思い出とか思い出に関わる物的証拠に頼るしかなくなっている。
生まれたときから持っているシュタイフのクマのぬいぐるみがある。叔母が買ってくれたもので、赤ちゃんの頃の私は毛並みを楽しむよりもタグを噛んでワニのように振り回したり、タグの感触を好んでよく触ったりしていたらしい。30年間ずっと大事にしていたわけではなくて、よく遊ぶ期間とピアノの上に飾りっぱなしにする期間を繰り返したが、ふと思い立って引っ越しにつれてきて今に至る。見た目は何度も洗ったせいで黒ずんでいるし、耳のタグには最後にクリーニングに出した日付が書き込まれている。満身創痍のクマになってしまった。
当時の叔母が、つかまり立ちができるようになった私と遊ぶビデオが残っている。頬がパンパンの私の世話を焼き、革と思しきカバンを舐められても笑って許している。私もくたびれた大人になったし、叔母の子供も成人した今、昔こんなことがあったと叔母が覚えているかどうかすら怪しいけど、少なくともその時の叔母にとっての私は、クマのプレゼント相当の大切な存在だったと信じている。人からの気持ちやその表明がもはや得られなくなっても、それがかつて存在した事実までなくなることはないはず、という考えを最近支持している。そうでないと私の経験する世界も人生も悲しすぎる。