「ここまでやってから人に頼めば、それなりのものができるだろう」と思って、結構念入りに準備をすることがある。今回は新しくリニューアルされる番組構成や撮影前の準備段階でそれをやったんだけど、できあがったオープニングとエンディングに色々な要素が加えられていて、話が違うということになってしまっている。
納得したリニューアルにするためには、ここからなんとか巻き返さないといけなくて、その労力を考えると、思うように進まなかった苛立ちを感じてしまう。そんなに人に期待するタイプではないんだけど、そういった気持ちになるということは、きっといいものをつくってくれるという思いがあったんだろうと思う。
表面的なかっこよさみたいなもので人を責めることは、できるだけしたくないと思ってる。それは良いものと悪いものの線引きが言語化できていないから、あくまでも「なんかかっこ悪い」ということでしかなくて、感覚だけで相手を否定したら「お前は何様なんだ」と自分自身で思ってしまうから。今回も準備段階の具体性が足りなかったのかもしれない。
結局こんな思いするくらいなら全部自分でやった方が納得できるという気持ちになって手を動かしてしまう。もちろん今のスキルはそのおかげで培われた部分も多いけど、でも最近は、信頼できる仲間と仕事がしたいなという気持ちが大きい。
人に期待してはあきらめるということを繰り返しているけど、結局はいいものを創りたいという思いをあきらめきれないし、一人で作るいいものには限界があるということに気づいてきたから、信頼できる誰かとつくるもので、世の中を良くしたいと思っているのかもしれない。
好きな企業のミッションに「感性の共鳴」という言葉がある。
共鳴できるものを見つけたいし、共鳴されるものを生み出す人でありたいとも思う。だけどそのためにはやっぱり、自分はどう考えているのかを発信しなければいけないのかもしれない。